読者投稿 鈴木義彦編②(25)

〖正義だ、自己犠牲だと理想論を唱えようが、人は所詮自分の利益のために行動するものだと思う。綺麗事だけでは世の中は渡れないのが現実だ。それを非難する人は偽善者だ。ただ、人として生きている限り「人道」という言葉だけは忘れないようにしなければならない。生きていくうえで、止むを得ず「人道」に外れた行為をする時もあるが、墓場に行く前には礼を尽くして謝罪すべきだ。鈴木もその気持ちを忘れるな〗

〖赤の他人の為に我が身を犠牲にしてまで正義を貫こうとする人間はいない。人は自分の欲の為に頑張るし、家族を守る為には正義だけでは生きていけない場合もある。しかし白と黒、善と悪の区別がつかない人間もいる。それを戒めるために法律があり、裁判所がある。それが一般国民の最後の砦なのだ。その最後の砦の入口が「開かずの扉」であったならば、一般国民は足並みを揃えて、国に対して一斉に抗議するしかない。今のままでは、そういう時が来るかもしれないという事を裁判所は覚悟しているのだろうか〗

〖鈴木は株取引において、利益を得る為に絶対に必要不可欠な事がA氏による株の買い支え名目での支援金である。この金を市場に投入しない事には、利益を得る事が出来ない。A氏を説得することで「合意書」契約を締結し安定的な支援金を確保した。鈴木はA氏からの支援金を最初から騙し取る計画だった。だから鈴木にとって、一番の問題は「合意書」の存在だ。西に10億円の巨額な報酬を払ってまでも、どうしても破棄したかったのだろう〗

〖鈴木は、恐ろしい犯罪者だ。他人を信じさせる事に長けている。不埒な弁護士や裁判官に守られて獣の道を歩いているが、誰かがわずかに残っているはずの鈴木の良心に働きかけ、鈴木の心の中にある獣の心をへし折って改心させなければ、鈴木自身の命にも係わる事になると思う。何故ならば裁判所が鈴木の罪を容認してしまったからだ。法律で裁けなかった悪人を超法規的な方法で裁こうとする人間が現れる可能性がある。鈴木は、そういう処置をされても仕方のないほど酷い罪を重ねている〗

〖「弁護士は、依頼人の話を聞いて、抱えている苦しみを法律の力で和らげたり、取り除いたりして、社会的な病を治療する医師だ」と立派なことを言う弁護士がいる。しかし、高額な報酬条件に負けて依頼主の悪事に加担し、偽りの真実へミスリードしてしまう弁護士も多い。民事裁判では被告本人と代理人弁護士の偽証罪が認められることが滅多にないという現実がそれを増長させているのだと思う〗

〖どの世界でも人と人との繋がりで癒着問題は発生している。政治と企業、警察と暴力団、企業と暴力団等、当たり前になっているぐらいだ。そうであるならば裁判長と弁護士の繋がりにもあって不思議では無い。表沙汰になっていないだけで実は当たり前に癒着が横行している事も考えられる。そうした観点から、今回の鈴木の裁判を見れば多くの疑問の答えが見えてくる〗

〖弁護士に求められるのは法廷での勝利だ。依頼人が悪人であっても人の道を説得する誠実さや論理は必要ないようだ。要するに結果を出せばいいだけなのだろう。刑事裁判では凶悪犯から弁護を依頼されることもある。死刑判決が確実な犯人を無期懲役にする為の弁護だと思うが、それでいいのだろうか。被害者の心情が無視されている。そこには犯人の「人権」というものが大きな影響を与える。殺された被害者の家族からすれば堪えられない事だと思う。「無期懲役なら無罪にして欲しい、自分で犯人を殺してやる」と思う人も少なくないと思う。民事裁判は人の命に係わる事件は裁かないが、今回の裁判は凶悪犯を無罪にしたようなものだと思う。鈴木の様な非情極まりない人非人がのうのうと生きていける法律などあってはならない〗

〖法律では人づての証言は、基本的に証拠にならない。まして、その人が死去していれば尚更だ。鈴木と鈴木の弁護士はこの法律を随所に利用し、自分の罪を逃れた。民事裁判ではこの様に「死人に口なし」という事が少なくない様だ。裁判所は、その事件の裏にある大きな犯罪を暴こうとしない。何故なのだろうか〗

〖今回の裁判で、被告側の鈴木にとって、どうしても裁判官に認定されては困る事は「合意書」に基づく株取引の事案に他ならない。株取引で得た470億円という巨額資金が表に出る事をどうしても避けたかったと思われる。その為には、「合意書」契約自体の有効性を否定する事が必要であった筈だ。「合意書」契約が無効と判断されれば、自ずと株取引の事案は争点から除外される事に繋がる。そう考えると品田裁判長の裁定は、被告側の要望に沿った判決内容となっている事が分かる〗(以下次号)

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