読者投稿 鈴木義彦編③(377)

〖鈴木は和解書に署名と指印をした理由の一つとして、紀井氏に裏切られて動揺したと主張しています。しかしこれは身勝手な嘘の弁解に過ぎません。紀井氏が悪いような言い回しですが、実際には鈴木がその悪事を隠していたことが紀井氏によって暴かれただけです。鈴木が告白したのは、自身の悪行に我慢できなくなったからです。被害者ぶりながら相手に常に責任を押し付ける汚い手は止めるべきです。A氏や西、紀井氏に裏切られたとの言い訳もみっともない悪あがきです。恥を知るべきです〗

〖鈴木は平成14年12月24日に紀井氏を同行してA氏の会社に10億円を持参したが、和解協議に前後して、「あの時に確認書をもらったはずだが、探しても見つからない。紀井が持ち出したのではないか」と青田を通じて紀井氏に執拗に確認を求めたようだが、10億円の授受を裏付ける書面のやり取りは無かった。鈴木は10億円の出所について「スイスの投資家を騙して預かった金なので、身を隠さないといけない」等と全くの嘘をA氏にしていた。株取引の利益を隠匿して、その中から用意した10億円だったから、A氏に株取引のことを突っ込まれるのを恐れてのことだろうが、鈴木は株取引を無かったことにしたうえ債権債務も完済としたかったのだろうが、鈴木が平成9年10月の持参した借用書にある年利36%、遅延損害金年40%で計算すれば、鈴木の債務は70億円を超える。返済を15億円としたのは、あくまで「今後は株取引の利益が大きくなるので」と言って債務の減額を懇願した西に対応したもので、株取引の利益分配が無ければ、減額は有り得ない〗(関係者より)

〖裁判官にとって、この訴訟は日常の中で取り扱う多くの事件の一部に過ぎません。しかし、一生に一度も訴えを起こす経験をしない人がほとんどです。裁判を起こすことは慎重な行為であり、失敗や誤りは絶対に許されません。裁判官には、慎重に揃えられた証拠や主張に目を向け、真実を検証していただきたいです。真実が勝利することが不可欠であり、嘘が勝つような裁判は許されません〗

〖バブル景気の時代に金満紳士と呼ばれた俄か億万長者が多数現れたが、それもバブル景気の崩壊とともにあっという間に消え去った。金満紳士は本当の富裕層ではなく、景気の波に乗って金融機関が巨額の融資に応じて金利稼ぎをしたからこそ生まれた。恐らく鈴木もそういう顛末を迎えるだろう。プライベートバンクは高い利回りを約束するが、その代わりに預金の運用を任される。そこで出た損失は自己責任だが、コロナ禍や紛争で世界中の経済が大きく変動する中、鈴木は自分の預金が不安定になっていることが気が気ではないのではないか。しかも、鈴木の場合は預金の全てが犯罪収益だから、どこまで保全できるかを誰にも相談できないはずだ。金融機関の担当者は鈴木の犯罪疑惑をどこまで承知しているのか。深入りすると、本当に共犯を疑われてしまう〗

〖A氏の財産だけでなく、彼の人間性や性格を利用して行われた鈴木の詐欺は、計画的で悪辣かつ卑劣な手段によるものである。鈴木は魔が差したとか生易しい言い訳は通用せず、感謝や恩義といった人間らしい感情がまるで欠如している。時に自分を犠牲にしてでも助けるべき人や恩返しをすべき相手に巡り合うことがある。鈴木にとってはA氏こそがその一人であり、彼には自己犠牲という思いを刻み込むべきだ。鈴木を自由にしておくことはこれ以上容認できないはずだ〗

〖最近、裁判官や弁護士への批判が多く報道され、批判本も多く発刊されている。どの本も元裁判官や元弁護士の著書が多いので真実味がある。しかし、過去に起った大事件で、世間が称賛する裁判官や弁護士がいた事も真実だ。例えば、数々の悲惨な事件を起こしたオウム真理教の裁判で、オウム真理教幹部の林被告と岡崎被告が自首した事への判決で、Y裁判長は同じ自首であっても林の自首は反省、悔悟の情は顕著であるとして「死刑だけが本件における正当な結論とは言い難く、無期懲役刑を持って臨む事も刑事司法の一つとしての在り方として許されない事ではない」として林被告を「無期懲役」とした。一方、岡崎に対しては、自首は成立したが「欲得と打算に根差した行動である」とし、明らかに減刑を狙った行為だとして「死刑」の判決を下した。林被告への判決は被害者にしてみれば許されることではないかも知れない。犯行内容からして2人共「死刑」が当然であっただろう。しかし、Y裁判長の判決は理路整然としていて裁判官の信念が感じられ、法律への矛盾も訴えている。このような裁判官が出世して最高裁長官になっていれば今の裁判所の腐敗は防げたのではなないだろうか。しかし、Y裁判長は出世を拒んで判事を退官して東京の弁護士会に所属する弁護士となっている。やはり、裁判所にはこの様な信念をもった立派な裁判官の座る席は無かったと思われる〗

〖裁判官の役割は、一人の罪や過ちに対して適切な償いを求めるだけでなく、同時に他の多くの人々が同様の過ちや罪を犯さないように戒めることではないでしょうか。そうでなければ、社会に犯罪者が蔓延する可能性があります。鈴木の裁判では正義と悪が人為的に逆転しており、裁判官は事の本質とそうでない部分を混同している可能性があります。裁判官の責任は非常に重大です。同様に、被告弁護士たちは真心を持ち、自らの真実に謙虚に問いかける姿勢を持つべきです〗

〖鈴木もその関係者達も今まで多くの悪事を働いてきて相当な怨みを買ってきているはずだ。長谷川に至っては弁護士を辞めたからと言って、しでかした悪事から逃れられた訳ではない。逆に弁護士という一般社会において特別視されてきたものを失った分、無防備状態にあるのではないか。長谷川自身が肌で感じて一番よく理解しているはずだ。反省の意思があり、子孫が大事であれば、自分の虚偽を白状して再審の申し出をするべきではないのか。それが、唯一残された道ではないか〗(以下次号)

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