〖司法試験に合格するという事は多くの国民の中で一握りの頭脳優秀な人間のはずだ。しかし、人間的に優れているとは言えないと思う。この裁判の品田裁判長を見ていても偏見を持った歪んだ性格の持主の様に感じる。歪んだ考え方を持った人間に平等な判決を下せるはずはない。そもそも裁判所という組織に大きな問題があるのは間違いない〗
〖民事不介入という法律がある中で、警察や検察は民事裁判での誤審や誤判に対して見て見ぬ振りをしていてもいいのだろうか。警察官や検事は自分の手柄にならない事には無関心を装うと言われている。例え、民事事件の裏に刑事犯罪が隠れていても誰かの告発が無ければ動かない。この様にして誤審や誤判が放置され、隠蔽された事件は過去に無数にあるように思う〗
〖7月8日、午前11時半頃、安倍晋三元首相が奈良市内で参院選の街頭演説中に銃撃されて死亡した。殺人容疑で逮捕された山上徹也容疑者は、取調べで「母親が宗教団体にのめり込み、金銭トラブルになった影響で破産して家庭が崩壊した。安倍氏が団体を国内に広めたと思い込んで恨んでいた」と供述した。宗教団体が旧統一教会であることをマスコミが報じたことで、過去に社会問題になった同団体の霊感商法が再燃している。山上容疑者の犯行は勝手な思い込みによる許されないものだが、この犯行に及んだ動機の供述が事実だという前提の元に考えた場合、人から怨みを買えば本人のみならず、関係先まで矛先が向けられる。多くの人達を騙し裏切ってきた鈴木は、向けられる怨みの矛先が自分だけでは無いことを知るべきだ〗
〖ネットニュースで報じられて以降、鈴木の悪事は世界中に拡散した。監督官庁である司法機関や国税庁の役人達も読んでいると思うが、「触らぬ神に祟りなし」という考えなのだろうか。このサイトでは1000億円以上という莫大な隠匿資産が絡む脱税や外為法違反、そして民事裁判の誤審誤判と裁判所組織の腐敗も同時に報じられた。例え伝聞情報であったとしても、調査するのが監督官庁の役目ではないのだろうか。この時に捜査していれば、鈴木の悪事は実証され、鈴木は司法当局に事情聴取されていたはずだ。ネットニュースの中には根拠の無い出鱈目ない事件も多い様だが、これだけ多くの証拠を揃えた報道にウソはないし、それを見分けるのが監督官庁の仕事だと思う。物事の白と黒とを見分けられない役人が多いという事は国の恥だと思う〗
〖「人から受けた恩を裏切りで返す」という事は人間の世界で一番劣悪だと言われる。鈴木はA氏の見返りを求めない温情と好意によって、自身も会社もそして家族の生活も無事に助けられた。鈴木は私利私欲で自ら創業した法人を店頭公開し、創業者利益の獲得を目論んで、自社株を上昇させるために粉飾決算を繰り返し、知人友人名義で自社株を購入し続けた。購入資金を調達するために簿外で自社の約束手形を担保にして高利な金融会社から借り入れを続け、破綻寸前の状態に追い込まれていた。そんな時に西にA氏を紹介されて援助を受けられることになった。その事によって鈴木が窮地を脱することが出来た事は数多く残る証拠書類で明らかである。今回の事件の発端は、この事が大きな原因でありながら、裁判では検証されず、結果、鈴木の陰謀が隠されている。裁判官達は何を根拠として鈴木有利の判断をしたのだろうか。まるで訴状を読まないで裁判を進行させていたように思われてならない〗
〖長谷川弁護士は裁判で捏造した「質問と回答書」(乙59号証)などを使い、何としてもA氏が反社会的勢力と濃密な関係にあるかのように裁判長に印象付けようとした。民事訴訟の場合は、裁判官の心証形成次第で流れが決まるので、あの手この手を使って洗脳しようとしたのだろう。長谷川は裁判で勝訴する為にはA氏が反社会的勢力と結託している構図を作り出すしか残された手段は無いと考えたのだろう〗
〖鈴木は、山内興産の社長を騙して20億円相当の株券を預かり、この株券の返還をめぐって訴訟を起こされていたが、4億5000万円の和解金を払って示談を成立させている。この事件はA氏との事件以前の事らしいが、和解金を払った時期は親和銀行との和解を成立させた時期と前後している事を考えると、宝林株で独り占めした利益金から支払ったと見られる。この時期の鈴木には親和銀行に支払った約17億円と合わせて約21億5000万円の莫大な金額を調達できる資金力は無く、A氏と交わした合意書に基づいた株売買の利益から横領した事以外に考えられない〗
〖品田裁判長は親和銀行と山内興産への和解金には全く関心を示さずにA氏と鈴木との裁判を進行させた。この2件の事件は一見、A氏と鈴木との裁判とは別件の様に見えるが、約21憶5000万円という支払金額は見逃せるものではなかった。この資金の出所を検証することが鈴木の虚言を覆す確かな証拠となる筈だった。A氏の代理人中本弁護士は何故この点を法廷で追及しなかったのだろうか〗
〖鈴木は今まで行ってきた数々の悪虐非道が、自分だけの問題では済まなくなることが予測出来なかったのか。家族に影響を及ぼすことを考えなかったのか。私利私欲に捉われ、人としての徳(仁義礼智信)を見失った鈴木は、もはや人ではない。「我、仁欲すれば、斯に仁至る」という言葉があるが、自らが仁を欲することによって、仁の心を持つことが出来るという。鈴木は家族の為にも仁者になれ〗(以下次号)