疑惑 強欲の仕手「鈴木義彦」の本性

第6章 不可解な出来事

人間、生きていく中で好むと好まないにかかわらず、いろんな事件に関わったり遭遇することは避けられないのかもしれない。しかし、鈴木という男の周辺にはあまりにも多くの不可解な事件が発生する。発生するだけでなく鈴木自身が直接関与している可能性が非常に高いのである。これまで書いてきただけでも親和銀行不正融資事件がある。この事件は司直の手で裁かれ、有罪判決を受けているが、その他に伊東市のパチンコ店駐車場で当時A氏の代理人だった利岡に対する殺人未遂教唆事件、香港で西が受けた殺人未遂事件等、枚挙にいとまがないが、取材をした中で何件かをご紹介します。

天野裕氏

FR社で鈴木の側近として動いていた天野氏は、鈴木が親和銀行をめぐる不正融資事件で逮捕された後FRが「なが多」「クロニクル」と社名を変えても一貫して独裁を維持してきたことが大きな要因となったのではないか、平成23年8月3日、都心の京王プラザホテルの客室で、首を吊った状態で遺体が発見された(当時はクロニクル会長)。一部には「何者かが天野氏を吊るした後に足を引っ張った」という恐ろしげな情報もあるが、天野氏の死にはあまりに謎が多いのも事実だ。会社の公式の発表は「8月3日、午前5時、急性心不全により自宅で死亡」としたが、事実は明らかに違っていた。なぜ、このような違いが起きたのか。クロニクルは曲がりなりにもジャスダックに上場する企業だったから、企業としての信用を憚ったのはよく分かるが、余りのギャップの大きさに却って不信感が募ることになった。しかし、クロニクルが具体的なコメントを出すことはなかった。

天野氏は、会社では投資事業を専権事項にして具体的な情報を社内外に開示することは無かったという。鈴木が、親和銀行不正融資事件で逮捕されたことでFR社の代表権を失うととともに株主名簿からも名を消し、さらに平成12年に取締役を退いたことで鈴木とFR社の関係は無くなったと業界には受け取られたが、それはあくまでも表向きの事に過ぎず、天野氏には鈴木の存在を無視することなどできなかった。それ故、なが多や、クロニクルで発表されるユーロ債(CB)の発行や第三者割当増資が、実は全て鈴木の指示の下に実行されていた事実を一部の人に明かすことにしたことがトラブルの一つといわれている。

しかし、天野氏が死亡すると、続々と使途不明金が発覚し、2012年(平成24年)1月、過去の会計処理と有価証券報告書虚偽記載の疑義に関する事実関係の調査をするとして、第三者委員会が立ち上げられた。すると、SEC(証券取引等監視委員会)が、天野氏がシンガポールにファンドを3個組成して合計9億円の資金を流し、ファンドから自身に対して資金を還流して個人的に流用していたとして金融庁に課徴金を課すように勧告していたという情報も表面化した。

問題は「個人的な流用」で、これまでの情報ではファンドの組成から還流が天野氏単独による犯罪行為とみなされた模様だが、天野氏の背後には常に鈴木の存在があったことを考えると、還流資金が一人天野氏の私的流用と断定していいのかどうか疑われているが、鈴木と青田が仕組んだと考える関係者が多い。人間として天野氏の評判は決して悪くないが、鈴木の評判は最悪だった。鈴木が天野氏の背後でFR社に関わってきた事実を社内の人間は少なからず承知していた。そもそも3個のファンドをシンガポールに組成して行う投資事業とは何だったのか? 天野氏はFR社代表取締役という名義(肩書)を利用された可能性は非常に高い。天野氏だけではない、今回の事件では10人以上が事件に巻き込まれ自殺や不審死、さらに数人が行方知れずになっているだけに、鈴木の悪事を許せないと関係者は揃って口にする。第三者委員会が調査して判明した使途不明金は平成20年からとなっていたが、それは、鈴木が平成18年頃から旧アポロインベストメントを軸にしてステラ・グループを組織し、同興紡績ほかいくつもの企業買収を繰り返し、あるいは業務提携を活発化させた時期と重なっていた。

ステラ・グループへの変貌と、企業活動に要した資金を鈴木が調達するにあたって、クロニクル(天野氏)が利用されたと考えると天野氏の自殺はこれまで伝えられてきたものと全く違ってくる。

A氏は天野氏に直接会って確認したいことがあって、天野氏に面談を申し込んだことがあった。天野氏は「鈴木からA社長には会わないように強く言われているが、内緒にしていただけるならお会いします」と言うことなので二人きりで会うことにしたが、西がどうしても同席させてほしいと言うので三人で会ったことがあるが、天野氏は鈴木と西の関係を知っていたので、西を入れることは反対したが、西がどうしてもと言うので一度だけという前提で3人で会った。天野氏は鈴木が親和銀行事件で有罪判決を受け、FR社の社長を退任してから同社のトップとして会社を守ってきた人物である。鈴木の尻ぬぐいも含めて債権者への対応に追われていた。A氏は鈴木が「A社長からの借入は全て返済している。その証拠に預けていた手形も返してもらっている」と言っていることについて天野氏の見解を聞いた。天野氏は「当時、FRには全く金がなく、債権者への返済は出来ていないし、(手形の戻しについては)前年も私は西さん経由で決算時に同様の事をやってもらっていた」と言った。そして、「あの大変な時期に、A社長だけは励ましの言葉をかけて戴き、『もし、どうしても困った時は連絡をしてください』と言ってくれました。そんな人はA社長だけでした。鈴木にも『A社長みたいな人はいない。感謝ししなければいけない』と言ったのを覚えています」と続けた。西は紀井氏が書いた鈴木の株取引の明細を天野氏に見せた。そこには500億円に近い利益金の詳細が書かれていた。天野氏は何かを確かめるような目つきで何度も見つつ、はっきりと「これ位はあります。いやもっとあったと思います」と言い、その後「この金はA社長の金だと鈴木より聞いていました」と言った。西は紀井氏の証言の確証が得られた事を確信した。A氏は、何より側近中の側近である天野氏の証言が鈴木、平林の主張を打ち砕く根拠に違いないと思った。

セレブ夫婦殺人死体遺棄事件

実は天野氏が無くなった2年後の2013年(平成25年)1月下旬に新聞、テレビ、週刊誌で「セレブ夫婦殺人死体遺棄事件」が大きく取り上げられた。同年1月下旬に埼玉県久喜市の空き地で一時帰国していたスイス在住のファンドマネージャ、霜見誠と妻美重夫妻の遺体が土中に埋められているのが発見された。霜見が務めていたファンド(ジャパン・オポチュニティファンド(以下JOFという)のオーナーが鈴木だったと見られており、当時の霜見氏を知る人たちによると、霜見氏が窓口となって運用していた資金が300億円であったという。そして複数の証言を総合すると、鈴木と西が宝林株を手始めとした仕手戦で利益を上げ、その利益を鈴木が独り占めし始めた時期と霜見のファンドの活動が重なるのである。一方、霜見氏が他の投資家に勧める投資商品は、いずれも実態不明の危険なシロモノ(いわゆるハイリスク、ハイリターン)が多かった模様で逮捕された元水産加工会社経営者渡辺剛も億単位の損失を出し、それを恨んで犯行に及んだとされている。渡辺は潜伏先の沖縄で逮捕され、強盗殺人、死体遺棄、詐欺未遂の容疑で起訴された。犯人の証言によると、2012年(平成24年)12月初旬に、日光で福山雅治や槇原敬之等が参加するパーティがあると嘘をつき迎えの車に乗せ、車の中で睡眠薬入りの酒を夫婦に呑ませて眠らせ、ロープで首を絞めて殺害したという。

それにしても自分が勧めた投資話で損失を出した相手の誘いに霜見が簡単に乗ったことに疑問が残る。予め殺害後の遺体を埋める土地を用意しつつ周囲を塀で囲うなど、果たして二人の実行犯だけで出来るだろうか。なにより、損失を出させられた恨みからの犯行と言うには、あまりにも大掛かりな仕掛けを使いすぎていた。

話は戻るが、JOFからクロニクルへ資金を提供するように指示を出したのは鈴木であった。しかし天野氏は当時クロニクルから鈴木を排除しようとしていた時期であり、鈴木も最近の天野氏の言動を疎ましく思っていた。そして消息筋によるとこのJOCはその後、目立った活動もなく、クロニクルへの投資だけで存在を消してしまっている。実際JOF オーナーが鈴木だとすれば、クロニクルの社債を13億5000万円で引き受けたJOFのオーナーの立場を利用し、鈴木本人がクロニクルに入った13億5000万円を運用していたことになる。霜見氏はこのからくりを承知していたはずである。おそらく当時クロニクルの代表者だった天野氏も知っていた可能性が高い。この秘密を知っている天野氏と霜見氏は、鈴木にとっては先々目の上のタンコブとなる重要人物であったという関係者の話も少なくない。その後JOFはクロニクルの新株予約券72個(転換価格1株20円で720万株)を引き受け、さらに、平成24年6月に別の投資家から158個(同じく1580万株)を譲り受けた。クロニクルの株価は平成24年の前半頃は30円台を推移していた。1株20円で権利を行使して普通株に転換し、市場で売却すれば、単純計算で1株あたり10円の利益(2億3000万円)が出ていた。それにもかかわらず行使したのは20個分(200株)だけであった。これには誰の思惑が働いていたのか、それに譲渡を受けた投資家とは誰だったのか。JOFは譲渡を受けたものと合わせて210個(2100万株)を保有していた。クロニクルの株価は平成25年1月15日、14円からいきなり37円に急騰した。当時のクロニクルの経営陣は、「なぜ株価が上がったのか解らなかった。霜見氏が株価を釣り上げているのではないかと思っていた」と言う。しかし、株価が急騰した時には霜見氏は既に殺されていて、この世にはいなかった。今もって誰が株価を釣り上げたか、誰が高値で売り抜けたか、明らかになってはいないが、陰で操っていた人間を想像するのは難しいことではないが、それを解明するためには重要な人物の一人は殺害されており、もう一人人は自殺? しているのである。この二人の証言は聞けない。果たして、取引はタックスヘイブンの投資会社等の名義になっているのだろうが、それを特定する材料は何かあるはずだった。当時の報道によると霜見氏は、中東のドバイでの不動産、株式投資をめぐり、著名な政治家(故人)の長男と某暴力団関係者から民事訴訟を起こされるなどトラブルを抱えていたという。霜見氏もかなり危ない橋を渡っていたことが窺える。そして、この投資話に登場する人物関係者の中にも鈴木の人脈だといわれる人物が浮かび上がってくる。

霜見氏がクロニクルの前身であるFR社と関係を持ったのは、親和銀行事件の頃からだった。霜見氏も親和銀行で不正融資の受け皿になったFR株の仕手戦で稼いだ一人だった。宝林株の相場で大物相場師の西田晴夫との交流が始まり、仕手銘柄でかなり稼いだといわれている。霜見氏自身が当時の同僚に「FR銘柄に出会ったことが私の人生を大きく変えた」と言っていた。またJOFの事情を知る関係者は、親和銀行事件で有罪判決を受け、社長を退いた後、数多くの株取引で莫大な利益を上げていた鈴木の資金運用を霜見氏が担当していたと言うが、その頃鈴木が運用していた資金とは、まさにA氏、西、鈴木の三者が合意書を作成し、宝林の株投資で儲けて鈴木が利益を独り占めしている資金であった。鈴木と霜見氏の関係は平成14年に始まったとされるが、霜見氏がスイスに在住していた関係で、鈴木は宝林株の口座がスイスにもあったと思われる。

ちなみに、クロニクルの有価証券報告書(平成19年12月提出)によると。同社の大株主欄に「エスアイエス・セガ・インターセトルエージー」という外資が名を連ねたが、同社が保有する7,163万株(16%)は「JOFの預託」によると明記され、その記載は平成23年まで続いていた。また同社の保有数は平成21年の75,743,000株をピークにその後は減少し、平成23年になると「エスアイエス」の名義も「エスアイエックス エスアイエスエルティディ」に変わっていた。ただし、「エスアイエス」も「エスアイエックス」も本社所在地はスイスのオルテンで同一だった。

平成19年、アポロインベストメントがステラ・グループに商号を変更して本社所在地を移動させて以降、鈴木の代理人となった青田が毎日のように同社本社に“勤務”している事実が確認されていた。青田が鈴木の代行者として関わっていたとみて間違いないが、注目すべきはその年より数多くの外資が株主に名を連ね、その中に「エスアイエス」も「エスアイエックス」も大株主として登場していることだ。この動きは平成23年まで続いたが、突然のように動きが鈍った。同年は前述した天野氏(クロニクル)が自殺した年であった。このタイミングも一連の動きに関連がないとは言えないのではないか。

また、取材によると鈴木のボディガードとして海外にも同行していた「吉川」という男が霜見氏と懇意の関係にあったという。この吉川は鈴木の後輩で、東京茅場町で「五大」という証券担保金融を営んでいたが、一方では過去に反社会的組織に属していたという噂のある男だった。鈴木がスカウトした元証券マンの紀井氏に指示して株を売り抜ける際の名義はしばらくの間、この「五大」がメインだったという。市場から吸い上げられた利益金は一旦「五大」に入るが、その後、吉川が日本国内で鈴木に現金を渡すか、密かに海外に持ち出す「運び屋」的な役割も担っていた。海外での現金の受け渡しはパリが多かったそうだが、ある時期からSECに関心を持たれるようになり、パリに逃亡した(西の証言記録より)という。吉川は鈴木にとって極めて身近な、そして重要な役割を担っていた人物だったが、その後は行方不明になったという。周囲の証券マンが言うには「吉川が行方不明になる前に鈴木と吉川の関係はあまり良くなかったようで、鈴木はよく愚痴をこぼしていた」と言う。その後、消息を尋ねた先の証券マンに鈴木は「あいつは死んだよ」と素っ気なく答えていたと言う。吉川の不明後、国内での現金の受け渡しは誰が引き継いでいたのか。このように海外、国内を問わず鈴木に関わった、特に悪事に関わった人間は殺人事件や失踪事件に遭遇しているのだ。

大石高裕氏

鈴木の側近であった大石高裕は親和銀行事件で鈴木とともに逮捕され、平成12年9月20日、懲役1年6カ月、執行猶予3年の有罪判決を受けた後、交通事故で死亡した。余りに突然の事だったが、親和銀行事件発覚から逮捕・起訴後の公判が続く中で鈴木と大石氏の関係に亀裂が入ったようで、西が大石の妻に5000万円を渡した事実が西のレポートに綴られている。それによると鈴木から「大石の口封じをしたい」という依頼があり、平成11年11月に貸付と言う名目で実行した。こうした経緯を耳にすると、大石氏が命を落とした交通事故はあまりにもタイミングが良すぎないだろうか。

取材をしていると天野氏、大石氏の例だけではない。鈴木が事件を起こすと何故か鈴木の周囲の人間がいつの間にか自殺や不審な死を遂げる。それは偶然の出来事だとは思えない不思議な思いに駆られる。原因は決まって鈴木が身勝手な約束違反に端を発した金銭トラブルが多い。

また、株取引でタッグを組んだことがあった相場師、西田晴夫は前にも書いたように自らの銀行口座や証券口座も持たないで株取引をするときは全て側近の口座を使い、側近の口座に溜まった「N勘定」と呼ばれる潤沢な資金は誰もその所在と行方を知らないが、鈴木がそれを放置することは考えにくい。SECと国税当局に目を付けられヨーロッパに逃亡中の元秘書の白鳥女史と謀って運用に動いた可能性は大きいと西田氏の元周辺者は語った。

鈴木の株取引の手法は多種多様を極め、恥ずかしながら株取引の知識には無知な筆者には理解に苦しむことが多いが、鈴木の周辺に起った株取引に絡む不審な事件の流れはよく理解できた。これは一重に取材に協力していただいた方々のお陰である。感謝したい。鈴木の周辺の不審な事件はまだまだあるが別の章でも取り上げる。

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