疑惑 強欲の仕手「鈴木義彦」の本性

第7章 利岡正章襲撃事件

鈴木はA氏に2通の手紙を出した以降、音信不通になった・

鈴木が手紙で青田と平林弁護士を代理人に指名してきて、A氏にも代理人を立てるよう依頼してきた。A氏は知人に紹介された利岡正章を代理人に立てた。

利岡は鈴木の住まいをはっきり突き止め、A氏と相対で協議させなくては問題が解決しないと考え、平林との書面でのやり取りに加えて鈴木の所在確認に奔走した。鈴木は、家族と共に神奈川県内に住民票を登録していたが、実際には事実上の住所不定が永らく続いており、親和銀行事件で逮捕、起訴されて後に保釈された平成10年当時からして裁判所に届け出た住所地は愛人が東京都内に住むマンションだった。宝林株の仕手戦以降、鈴木は金に飽かして自分の身を隠す住居が複数あるに違いないと利岡は考え、そうした情報の収集に努める一方、特に東京都内に住む鈴木の実父の自宅には足しげく通った。そして「何とかA氏との直接の交渉に応じるよう説得したいから鈴木と会わせて欲しい」と2年近くも実父に話し続けたが、鈴木からの連絡はついに来なかった。そうした利岡の動きが続いた平成20年6月11日、伊東市内のパチンコ店の駐車場で広域指定暴力団(習志野一家)の構成員ら暴漢2人に襲撃され、全治3カ月の被害を受けたが、裁判で鈴木の代理人が「襲撃ではなく、偶然に起きた諍い、あるいは事故」と主張した。その後、利岡や関係者の調査で利岡の襲撃は「青田の依頼による」という複数の証言が得られた。利岡襲撃事件の後、青田が20年来昵懇にしてきた習志野一家のNo.2(楠野伸雄)に青田は「(自分とは今まで)一切付き合いはないことにしてくれ」と口止めしたり、同一家の構成員らに車を買ってやったり、海外旅行に連れて行ったりしたという証言も同一家の上部団体の幹部数人よりあった。

襲撃したのは、広域暴力団稲川会に属する習志野一家の構成員と無職の男だったが、静岡県警伊東署に逮捕された実行犯の二人が所属している組織は、鈴木の代理人となっている青田がNO2の立場にある幹部と20年来、昵懇にしてきただけでなく、実は、平林も何の目的かその組織のトップと最低でも2回は面談を重ねていた事実が判明し、利岡は襲撃の依頼者が鈴木と青田ではないかという疑念を深めた。それは同組織の内情を知る稲川会の複数の幹部からも同じことを聞いていたから、利岡はなおさら実感を強めたのだった。事件が起きた翌日、利岡が救急車で担ぎ込まれた病院に実行犯の組織の組長と称する人間が見舞いに訪れ、謝罪をしつつ示談を求めた。利岡は「襲撃を依頼したのが誰かを明らかにしてくれるなら、示談に応じる」と言い、組長が利岡の申し出に応じたことから示談は成立したが、利岡が退院して後に組長に繰り返し催促しても埒が明かず、そうこうしているうちにその組長が別の事件に絡んで逮捕されたために、事件は真相が分からないまま曖昧に終わってしまった。香港で西が殺されかけた事件と言い、利岡襲撃事件と言い、なぜ鈴木にまつわる関係者にこのような血なまぐさい事件が起きるのか。真相は闇となっているが、親和銀行事件以来、鈴木という男の周囲には暴力的な危険が常に漂っている気がしてならない。鈴木の片腕としてFR、その後なが多、クロニクスにおいても経営トップとして働いてきた天野氏さえ、都心のホテル客室で自殺したと囁かれながら、会社側が「自宅で心臓発作により死亡」と公式に発表したために却って不信感が広がった。また、親和銀行事件で鈴木と一緒に逮捕された当時、FRの専務であった大石も有罪判決を受け、その後に交通事故で死亡したが、この交通事故にも疑惑がもたれている。

利岡が襲われてA氏の代理人としては中途半端な状況に置かれたことで、交渉はさらに難航し、平林と青田はいたずらに事態を混乱させるだけであったと思われる。それどころか、平林が利岡を襲撃した暴力団のトップと何の目的で面談したのか大いに疑問が残る話で、平林はその理由を説明する義務があるはずだった。平林も青田も代理人であるのに好き放題のことを言っていて、都合が悪くなると一切回答しない。

鈴木からの2通の手紙

鈴木からのA氏宛の手紙は平成18年11月下旬から12月上旬にかけて郵送されたが、その直前の10月16日にA氏と西、鈴木が「合意書」の存在と有効性の認否に係る協議を重ねた結果、鈴木がA氏と西にそれぞれ25億円を支払うことを約した「和解書」が交わされたという場面があった。協議は数時間を経た中で、鈴木は「合意書」に基づいた株取引を頑なに否定して、当初は、宝林株の取得資金3億円をA氏が出した事さえも否定していたが、鈴木の指示で株の売りを全て任されていた紀井氏が、西の聞き取りに応じて株の売り抜けの現場や利益の総額をはじめ、鈴木が利益の大半を海外に流出させてきた実態等の真相を語っていた真実が明らかになったことで、鈴木は遂に折れる形となり、冒頭に挙げた金額を支払う約束をA氏と西にしたことから、西が予め用意した「和解書」に鈴木とA氏、西がそれぞれ署名指印したのだった。

「和解書」には書かれていなかったが、鈴木はA氏にはさらに2年以内に20億円を支払うと約束して協議は終了した。

鈴木がA氏に宛てた手紙は、この支払約束を留保撤回し、代理人を立てるから、その者たちと交渉してほしいという内容だった。

「先日帰国しましたが、本日再度、出国せざるを得ません。当分の間、帰れません。理由は、国内で問題が生じました(詳細は、青田から聞いて下さい)。帰国前から、青田から多少の情報は得ていたのですが、国内から海外へ切り口を広げるのは本気のようです。誰がやったのかは確認できませんが、私は西しかいないと思っています。(略) こんなことで本当に今回の件が、キッチリ話がつき、終わるのでしょうか?」「紀井もあの日以来逃亡し、私一人でどうしようもありません。(略)私は、社長が西、紀井と共謀しているとは思ってはいませんので、(略)是非、協力、再考してください」。鈴木は、利益の隠匿が国税当局にバレて、問題が生じた。その原因を作ったのは西しかいないと決め付けたうえで、先ずは「和解書の」履行に疑問を投げかけた。そして、三者協議について、

「紀井の卑劣な裏切りに動揺し、3年間に及ぶ西の全てが嘘の作り話を、はっきりさせず、西の罠に嵌り、安易に和解してしまったこと、金額についても、現在自分が、全資産を処分して出来うるギリギリの数字を言ってしまったこと(現在の状況では非常に難しい)、また、紀井が言っている数字は表面上の数字であり、損、経費、裏側の事情が全く分かっていません」としつつ「私しか本当の利益の数字は分かっていません」と断じる。鈴木が三者協議の場で認めたのは、わずかに「合意書」に基づいた株取引は宝林株のみであったが、この冒頭の流れを見ると、鈴木が株取引で上げた利益を不正に海外に流出させていたこと、紀井が証言した利益総額470億円は事実であること(ただしそれは、鈴木に言わせれば粗利益で、純利益ではない)を認めたうえの話になっている。

「私一人で立案して稼いだ金」「私はこの3年間で西と会ったのは、(略)2回きりです。TELも1回。それきりです」「特に今回、私を陥れるため作り上げた香港での殺人事件は考えれば考えるほど、頭にきて眠れません。到底許せることではありません。第三者を入れ、嘘だった、作り話だったと判明させなければ納得がいきません。」「(紀井は)話し合い当日に全ての仕事を放り出して逃亡していますが、私の被害が多方面で非常に大きいということ。また、やり方が非常に卑劣だということ。また、紀井は、国内外の関係者数名に、私が殺人を犯すような人なので、私の所を辞めたと言っています。(略)このような話をされては、私の国内外における仕事の被害も甚大です。許せません。(略)3人が共謀して、私を陥れようとしたのか、疑念を招いてしまいます。」

鈴木は紀井に約束した報酬の1/100も払っていないのに、よく言えると思うほど身勝手な事情を書き連ねている。筆者はこの手紙を見て鈴木が「陥れる」とか「「作り話」「卑劣」「身勝手」「罠に嵌る「疑念を招く」「共謀」等という言葉を使っている事に非常に憤りを覚えている。『お前、そんな言葉を知っていたのか? お前が使うな! お前がいつもお世話なった恩人に対してしていることなんだよ』と教えてやりたい。

手紙の内容を続ける。(抜粋)

①「今回の件も話がほとんど漏れており、どちらにしても、西と紀井がいる限り、秘密保持はできません。なんとか紀井本人を捕まえて、第三者を入れ、キッチリ紀井からほんとうの事情を全て聞きたい」。そして、「合意書」の件になると、②「よく振り返って考えると、何の株を買うとか、どのくらい数量を買うか等、株に関することで、三者で話し合いをしたことが一度もないということ。(西と二人でも一度もない)」また、③私一人で立案し、稼いだ資金を、国内外の移動という、現在もっとも難しいことで、何故、一人だけでやらなければいけないのかということ」、④「合意書」を交わして、A氏に株価の買い支え資金を出させておきながら、一方でA氏を蚊帳の外に置くというように情報遮断を策したのは他ならず、鈴木自身であったこと。以上4点においても自分勝手な言い分で、もっともらしく書いてきている

「私一人で立案して稼いだ金」についても「語りに落ちる」とはこのことで、鈴木は買支え資金は合意書どおりにA氏に出させ、利益を密かに海外に流出させ、タックスヘイブンのプライベートバンクに自分が立案した通り、独り占めして隠匿しているということなのだ。

そして、「私がした約束は、西の脅かしと騙し、紀井の裏切りにより、正常な判断を奪われてしたもので私を拘束するものではない」と主張することに尽きた。しかし、鈴木が正常な判断を奪われたのは、自分が、西を唆して破棄させたと思い込んでいた「合意書」が、破棄されずにA氏が保管していたことが原因である。「合意書」が存在しているということは、今まで鈴木が自分の代理弁護士と謀って嘘の証言を作り上げていることが全てむだになり、全ての悪事が晒されてしまうために正常な判断を奪われてしまったのである。裁判官が間違った判断をしたのは、被告は「心裡留保」の状態であったと判断したことであったが、その本当の原因までを見抜けなかったことだった。これは、重大な裁判官の「誤審」だったのではないか。まさに、鈴木の悪事を暴く絶好の機会だったのである。

そして、鈴木は「今後、すべてが解決するまで、私がこの件で直接話をすることはありませんし、金を払うつもりはありません」と書いてきて、青田と平林弁護士を指名してきた。この二人が代理人となった事がこの事件を混乱させてしまう。

鈴木が狡猾なのは、A氏だけは自分の事を理解していると、A氏に思わせるような流れを作っている事ではないか。それを窺わせていることだ。それは

「私は、海外の資金つくりに最大限、全力投球するつもりです。また、現状それしかできません。(海外口座をつくることは検討しておいてください)何とか私のこの真意をよく理解していただき、世の中の道理に適う形、納得いかない点の解決に協力してもらい、和解金、支払い方法等の再考をお願いします」と1回目の手紙に書いてきている。

A氏は手紙を読み、「この問題は、当事者同士で話し合いをしなければ解決しない(代理人や弁護士が同席するのは構わない)」という趣旨の手紙を平林弁護士経由で鈴木に送った。しかし、鈴木は頑なに代理人を立てることに固執し、自身は姿を現そうとしない。これも鈴木の常套手段に違いない。なお、A氏は鈴木が代理人を何人立てるにしても、鈴木本人が同席しなければ本当のところが分からないから、必ず同席するということを条件にした。

不可解な鈴木の手紙

2通目の手紙でも鈴木のA氏に対する態度は変わらないように見えた。

「根本的に私は、今回の件は以前に社長に言いましたが、合意書とか、和解書とか、そんなものは、関係ないのです。社長には過去大変お世話になり、人物的にも魅力を感じ、男としても一目も二目も置いていました。私にはそう思える人物が過去ほとんどいませんでした。それと100歩譲って西がJASのきっかけを作ったということです。JASの件では、双方に資金を渡しているはずです。西が一人だったら、何と言おうが、何をしようが、びた一文渡しません。社長が居るからやろうという気持ちを維持しているだけです」と書いてきている。そして、相変わらず紀井を悪者にして、

「話し合いの後、西が紀井に話、紀井が私の関係者にTELして、香港の件を含め、今回の件の話をしたことです。海外の資金は自分のものであって、自分のものではありません。関係者には事情を説明して、各方面に対応してもらうしかないのです。当然、関係者は、このような件を独りで対応させるようなことはさせません」と言って「平林先生の力と青田氏がフォローしてくれなければ、完全な形で資金(現金)を受け渡すことは難しいのです。また、私が逃げ隠れするとか、裁判をするとか、話を壊すつもりなら代理人等立てません」と、代理人を立てることの正当性を強調した。だが、鈴木は実際には何年間も逃げ隠れしている。もし、鈴木がこの2通の手紙の文面にあるように、A氏に対しては「和解書」の履行に努力するという意思があったならば、代理人となった青田、平林の両人は本当に交渉する現場を作ったに違いない。しかし、実際には逆だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です