読者投稿 鈴木義彦編(192)

〖鈴木と長谷川は己の欲の為なら手段を選ばないという生き方が酷似している。こんな2人がタッグを組んだら結果は目に見えている。鈴木は株取引で得た利益を独り占めするために西を騙してA氏を裏切らせながら、裁判では自分は被害者になり切り出鱈目な主張を繰り返した。長谷川は巨額の報酬の為に弁護士にあるまじき手段で嘘と誹謗中傷で法廷をかき回し、「質問と回答書」(乙59号証)というとんでもない陳述書を出して来た。こんなやり方で勝訴した為に、やはり追及され今では非難の渦中にいる。悪人は悪人らしく裁かれなければならない〗(関係者より)

〖鈴木、1000億円以上の金を隠匿して安閑としていると、とんでもない目にあうぞ。今、世界中がコロナ禍で疲弊している中でも株価が上昇し、国は経済活動も活発化させることに必死で、戦争さえ起こりかねない状況だという事を自覚していないと、想像もつかないような出来事が当たり前のようにあちこちで起きる。そうなった時、昨日までの常識では対処できなくなる。鈴木の隠匿資金にもいつ司直の手が伸びるか、それが間近に迫っていることを鈴木は何も実感していないのではないか〗

〖「合意書」作成当時、寡黙だった鈴木が一人熱弁を振るって締結に至ったはずであったが、和解協議の場において鈴木は宝林株の取引すら途中までは「合意書」とは関係ないと言い張り「合意書」は交わしたが「何一つ履行した事実が無かったので忘れていた」とは、何という無責任で横着な返答か。開いた口が塞がらない。宝林株の取引で160億円という思わぬ利益が上がり、その金が鈴木の強欲を刺激したのかもしれないが、元々鈴木自身が金に異常な執着を持ち正常な心を失った者であったからだろう。鈴木は最初からA氏に株の買い支えの資金を出させ株価を高値誘導出来れば、その値幅は確実に取れることが分かっていたから、利益が出ていてもそれは隠匿し、西を使ってA氏から買い支え資金を出させ続けた。そういう腹黒い思惑を秘めて株取引の話を持ち込みA氏と「合意書」を交わしたと思う〗

〖鈴木は裁判を愚弄していると思う。鈴木側の主張を見れば明らかだ。しかしA氏側が提出した数多くの証拠書類によって、それらの主張はほとんど虚偽と証明出来たはずで、少なくとも鈴木が嘘ばかり言っているという手がかりになり得るものだった。しかし裁判官はその重要な証拠のひとつひとつを細部まで検証しようともせず、頭ごなしに否定するような失態を重ねた。これでは事件の真実など見える筈がなく、判決文そのものが何の説得力もないどころか、判決文を書いた品田裁判長の資質が大きく問われるものだ〗

〖裁判官が裁判の時に着ている衣服を「法衣」と言い、色は「黒」だ。見てくれは威厳があり、この人に任せておけば万事、間違いがないだろうという安心感を持つ。「如何なる権力にも屈せず、正義を貫き、公平な裁きをする」という安心感だ。時代劇好きの私は、大岡越前や遠山金四郎を思い浮かべるが、あれはフィクションで、昔から「こんな人が現れて欲しい」という庶民の願望から生まれたものなのか、そうすると武士の時代から裁判官(奉行)は評判が悪かったようだ。何百年も変わっていない。国は裁判所の状況を何と考えているのか。このままでは国民の信頼が無くなってしまう〗

〖鈴木という男は自分が窮地に立たされている所を救ってくれた恩人A氏から株取引の原資や株価の買い支え資金を出して貰い、そのおかげで得た利益金なのに分配の約束を守らない。その上、全ての利益を独占するために関わった人達を下劣な手段で欺き、場合によっては死に至らしめるほど我欲にまみれた史上最悪の人間だ。鈴木は、我欲は身を滅ぼすということを知らないのか。因果とは原因結果の法則で悪い事をすれば必ずいつかは悪い結果が襲う。鈴木の行く末は家族や身内ともども世間から非難を浴びせられ、誰からも見放されるしかない〗

〖鈴木代理人の平林弁護士はA氏が鈴木にしてあげた事を「世の中であり得ない事」という言い方で表現し、A氏が実際にした事を否定したが、これは「A氏のようにここまでやってくれる人は他にはいない」という意味が正しい。このA氏の人柄は口伝えで聞いただけでは理解しにくいかもしれないが、取材班が聞いたA氏を良く知る債務者や関係者の声がそれを物語っているし、誰より鈴木自身が自覚している筈だ。だから鈴木も手紙で「大変世話になった」「男として一目も二目も置く人間」という書き方をしたのだと思う。鈴木はこの先、A氏のような人物と巡り会う事は二度とないだろう。そのA氏への純粋な気持ちを思い出し、自分が何をしなければならないのか、どうしたらこの先家族が安心して過ごしていけるのかを真剣に考える時ではないのか〗(関係者より)

〖全ての裁判官に贈る言葉を見つけた。それは「視、観、察の三つを以て人を識別せねばならぬ」という言葉だ。これは「人を見るには眼で“視„て、頭で”観得„して、心で“察„しなければならない」という意味だが、もっと解りやすく言うと、その人をよく「視て」いれば、立ち居振る舞いから行為がよく分かる。それはその人の「外面」。次に、その人をよく「観て」見れば、発言や行動、表情などから動機が分かる。これはその人の「内面」。さらに、その人をよく「察して」みれば、その人が何を望み、どうすれば喜び満足するかが分かる。これも、その人のさらに深い「内面」なのだ。つまり、「人を視て(みて)、観て(みて)、察すれば(さっすれば)、その人の外面も内面も手に取るように分かる。そうすればもう、その人は本心や行動を隠すことは出来ない」という事を言っている。悪人は、本心や行動を隠そうとする。それを見破る能力がない人間が裁判官になる資格は無い〗

〖株取引において、役割分担として鈴木に株の売買を任せた事により、A氏と西に利益の総額を知られる事なく利益金を鈴木の独断でコントロールする事が出来た。それもほとんどを海外に流出させたため西も手も足も出せず鈴木に主導権を握られ、言いなりと化し土壷にはまっていった。平成14年2月に志村化工株事件で西は逮捕されたが、主犯格の鈴木を守り切ったにも拘わらず鈴木は西を切り捨てにかかった。鈴木の根性は腐りきっている〗(以下次号)

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