読者投稿 鈴木義彦編(190)

〖人間は、貴賤の別なく、老若の別も無く、悟っても迷っても死ぬ。誰もが死ぬのは知っているが何故か、他人があらかた死んでから自分が最後に死ぬ様に勝手に思っている節があって「今死ぬのは自分ではない」と考える人が多いらしい。これは言われてみればそうかもしれない。鈴木は自分が遅かれ早かれ死ぬことを知っているのか。自分はまだ死なないと思っているのだろうが、貴賤や老若や男女に関係なく、また善悪にも関係なく人間は死ぬのだ。そんなに時間は無い、今のうちに身の回りを整理しておくことが大切だ。特にお前の死後、家族が不幸にならないために何をしておくべきかをよく考えるべきだ〗(関係者より)

〖とにかく一刻も早く再審を実現すべきだ。再審という制度が具体的にどういう法廷の流れになるのか分からないが、第二審のようにお茶を濁したような馬鹿馬鹿しい裁判だけは絶対にあってはならない。不服を申し立てる原告側の主張や争点をしっかり把握し、検証をやり直すものと期待する。一審、二審と違って、事件の注目度がこれだけ大きなものとなれば、裁判所としてもいい加減な審理は出来ない筈だが、組織ぐるみで再審を実現させまいと妨害するような恥ずべき行為は世間が許さない〗

〖日本は世界中でも法人税や個人の所得税が高い事で有名だ。ある程度の富裕層になればタックスヘイヴンをうまく利用して節税しているらしい。タックスヘイヴンでその金を使って別荘を買ったり、車やクルーザーを買ったりしても高額な税金がかからない。鈴木は盗んだ金でパラダイスのような生活を送っていると思うと腹立たしい思いがする。A氏の心境を察するに余りある〗

〖当然この裁判結果は、納得も理解も到底出来るものではない。しかし、関係者の皆さんはその場に踏み止まって恨みつらみをはらそうというのではなく、既にこの先を見据えての動きに変わっている。まずはインターネット社会を通じて世界中の目をこの事件に注がせ、事実を知らしめるという事だ。今やその動きが功を奏し鈴木への批判が後を絶たない状況になっているようだ。そしてこのままでは、鈴木のみならず加担した連中の身内の批判にまで広がるのは必至という事だ。こういう裏切りや横領という犯罪は最も批判を受ける事件なのである〗

《鈴木は何か目標を持って生きているのか。金を儲けたいという欲は当然として、とりあえず莫大な資産は隠匿したように映る。莫大と言っても桁外れの金額だ。鈴木の事だから世の為、他人の為に使う気持ちは毛頭ないだろうが、幾ら贅沢しても使いきれないだろう。最悪なのは「もう一勝負」と考えて、株や不動産に投資する事だと思う。明治時代の偉人が「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ決して永続するものではない」と言っている。よく噛みしめる事だ》

〖鈴木は和解書に署名指印した理由として、紀井氏の裏切りに動揺した事と、西から香港での事件であらぬ嫌疑を掛けられ、その証拠を捜査機関に提出すると脅された為に社会的に抹殺されてしまう事への恐れからであると2つの理由を挙げているが、どこまで姑息な人間なのか。紀井氏は何一つ裏切っていない。裏切ったのは利益折半という紀井氏への約束を反故にしたり、紀井氏に無断で宝林株の資金提供者にしたこと等全て鈴木の方である。また、西は鈴木の名前は一切出していない。それに和解協議でも何回も鈴木から事件のことを気にした質問はあったが、それについてはわずか5分ほどで終わり、西は「最初からの約束を守れ」とか「初心に戻れ」と何回も鈴木に言っている。これは明らかな責任転嫁と責任逃れである。そもそも鈴木は合意書の約束を破った時点でA氏に株取引の話を破断にされても仕方なかった。そうなれば資金もA氏は協力してくれる筈がなく、鈴木は他の債権者への支払いや和解金なども払えない状況に陥っていた。鈴木は自分の裏切りや悪質な行動を省みる事などないのだろう。保身の為に人のせいにばかりする様な身勝手で強欲な人間は厳しい罰を受けなければ誰も納得などしない〗(関係者より)

〖人間は、弱者も敗者も、自分が主役になる権利を持っていると思う。しかし、弱者や敗者が立ち上がるには支援が必要なのだ。A氏は、困っている人が頼って来たら助けるという家風に育ってきた。鈴木は正に「困っている人」だったのだ。A氏は自立を助ける精神を持ち、真心を持って鈴木を支援したのだった。紹介した西もA氏の性格を分かっていて鈴木への支援を願ったのだろう。この因縁の出会いがA氏の人生を狂わせてしまった。鈴木、こんなことがあってはならないのだ。お前はA氏の温情を踏みにじったままにしている。今のA氏の心情を考えてみろ。そして真心を持って謝罪をしろ〗

〖鈴木代理人の長谷川弁護士は、法廷の場でA氏代理人の中本弁護士に対して「うるさい、黙れ!」と恫喝したが、法廷ではこんな行為がよくある事なのか。長谷川は服装もスーツではなく普段着のような恰好だったようだが、裁判に臨む姿勢としては品位が無さ過ぎるのではないか。それともこれは弁護士の個性として裁判所は認めるのだろうか。その上、戦術の傍若無人振りには呆れ果てて言葉もない。今回の事件を通して裁判所の裏事情を知り、裁判が神聖な場所ではない事、矛盾だらけの判決が下される事を知り、日本の司法に絶望感さえ感じている〗(関係者より)

〖人間の幸せは、自分の才能や努力だけでは得られない。鈴木の様に、自分勝手な解釈での才能や努力は驕り(おごり)だ。他人への感謝の気持ちが無ければ幸せは訪れない。兄弟姉妹のため、家族の為、友人の為という心を持って行動しなければ本当の幸せにはなれない事を肝に銘じろ〗   (以下次号)

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