読者投稿 鈴木義彦編(173)

〖裁判官は、西が残した証拠を何故採用しなかったのか。判決文を見ても西の証言は全く採用されていない所が遺書を見ていない証と思う。鈴木が西の死後、「質問と回答書」(乙59号証)などで、西の死をフルに悪用し、「西から聞いた」としてA氏を誹謗中傷し、裁判官の心証を悪くする手段にしている。自殺してからも鈴木に悪用され、A氏の足を引っ張っているが、鈴木は本当に情けのない極悪な人間だ〗

〖この事件は「貸金返還請求事件」だが、真実を見極めるには株取引の内容が絶対必要不可欠だった。紀井氏の株に関する証言は不自然過ぎるほどに着目されず、合意書、和解書の無効という判断にはあまりにも違和感がある。逆に鈴木や長谷川による合意書に基づいた株取引の否定の主張は簡単に採用されている。本来はA氏代理人がもっと強く異議を唱えるべきなのだが、あらゆる角度から鈴木を見て来た西による法廷での証言ができないことを見越した長谷川の作戦は本当に卑劣だ。西の証言の有無で説得力に雲泥差があった〗

〖昨今の裁判官が閉鎖的な裁判所の一員である以上、組織内の思惑が裁判結果に何らかの影響を及ぼす事は否定できない。こういうことは裁判所に限らずどんな組織にも言えることだ。現在、裁判所改革の一環として裁判員制度が導入されているが、日本では特定の刑事事件においてのみ選ばれた国民が裁判員として審理に参加出来る。裁判官の不当判決が問題となっている現状を踏まえると、海外の陪審員制の様に民事訴訟においても活用されるように範囲を拡充すべきだ。善良な一般市民の方が組織のしがらみに関係無く裁判官より正当な判断を下し、より真っ当な判決が期待出来るのではないか〗

〖鈴木と青田、長谷川は自分の悪の知名度が一年前とは比べ物にならない程に急上昇している事に気付き何を思うか。これが株価ならば万々歳だろうが、今度はそうはいかない。そして更にこれから先の一年後を想像したことがあるか。当然今の場所から今の環境で傍観している状況にない事を断言しておく。しかしそれもこれも自分が強欲であるが為に選択した運命であり、人の温情をないがしろにし、人間らしく謝罪もせずに逃げ回っている結果だと後悔するがいい。それは鈴木の家族や身内、そして長谷川、青田も同様だ〗

〖品田裁判長は判決で「株取引合意書が無効であるから原告と被告との間の株取引合意書に関する事柄についての原告の主張は全て認められない」と「合意書」の有効性を頭ごなしに否定している。「合意書」を裏付ける証拠類を全く無視して株取引合意の有効性を否定することに固執することで裁判での全てが鈴木有利に働く事から、鈴木側との癒着の可能性が湧いてくる。こうしたあからさまな誤審が通用して誤った判決につながるような裁判であってはならない。国民の裁判所に対する不信感は募るばかりだ〗

〖人間の顔をしたハイエナ。鈴木は、そんな表現がピッタリの詐欺師だ。今まで見聞きして来た人の中にこんな輩はいなかった。いくら金の為とはいえ、これだけ世話になった恩人に対して、どこまでも裏切り続けることができるものなのかと怒りを覚え、そして何よりA氏のように困っている他人にこれだけ施すことが出来る人もいるのかと驚いた〗

〖品田裁判長が主導した鈴木の裁判が多くの関係者にどれだけ害をもたらしたかを品田自身は考えた事があるのか。3年もかけて一体何を検証して判決に至ったのか明確な説明を求めたい。誤字脱字があれだけ多いということは、一審の裁判官、特に裁判長の品田はこれで裁判長と言えるのか、本当に疑問だ。「合意書」について身勝手な解釈で難癖を付けるような講釈を垂れて有効性すら認め無い。「合意書」の有効性の有無はこの裁判の重大なポイントとなるところで、それに関する証拠類もろくに検証しないで安易に下した判決は誤りだらけで、裁判官としての資質や能力が欠けているか、あるいは何らかの不正による故意の判断としか考えられない。こんな裁判がまかり通るようでは、日本の民主主義における裁判制度の根幹を揺るがしかねない〗

〖鈴木は、いったい幾らの資産を隠匿しているのか。2006年(平成18年)当時470億円の株利益を得ていた事は、鈴木のスタッフとして一緒に株取扱をしていた紀井氏の証言と陳述書で明らかになっている。その資産を15年間、タックスヘイヴンのプライベートバンクに預けていたとしても、その間の利息だけを加算しても計算上は1000億円を超える。現金のみではないにしても不動産や有価証券の評価や運用益を入れればもっと増えているだろう。タックスヘイヴンのペーパーカンパニー名で管理していて鈴木の名義ではなくても、金融庁と国税庁がこの裁判の内容を基に調査すれば隠匿金は発覚するはずだ。特に杉原弁護士と茂庭進を調査すれば骨格は分かるはずだ。そうすれば芋づる式に全容が解明されると思うが、金融庁と国税庁はどうする〗

〖今の裁判所は裁判官にとって「伏魔殿」と言われるが、そんなところに長く居ると、大半の裁判官が品田裁判長のような堕落した裁判官へと変貌を遂げていってしまうのではないか。裁判官を目指し司法試験を受けた頃の志は何処へ行ったのか、と訝しく思う。上級国民という意識だけが強く、国家公務員という安定した立場に胡坐をかいて出世ばかりを考え、本来裁判官としてあるべき姿、中立の立場で公平公正に物事を見極めながら、法律で争い事を解決する「法の番人」としての正義感を持った裁判官は存在するのか。誠に嘆かわしい限りだ〗(以下次号)

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