〖裁判官は15億円という数字に惑わされたのではないか? 西が平成11年7月30日に西が「株取引の利益」と言ってA氏に渡した15億円(それぞれ5億円の分配になり、西と鈴木の取り分は返済金の一部に充当)。鈴木が9月30日に債務返済をしたと言っている15億円。鈴木は合意書に基づいた株取引は無かったという主張と「確認書」で債務を完済したという主張を辻褄合わせしようとして、西が持参した期日を強引に9月30日と言った。しかし、A氏が西に頼まれて40億円超(年利15%で計算した場合)の鈴木の借金を25億円に減額して、さらに「西に社長への返済金の一部として10億円を渡した」と言う鈴木の話を受け、鈴木が直筆で書いた15億円の借用書との矛盾を解決することなどできなかった。15億円が実際に受渡しされたのは平成11年7月30日の1回だけだから、問題は裁判官がこれを株取引の利益ではなく返済金にしてしまったことだ〗
〖鈴木はA氏から資金以外にもピンクダイヤや有名画家の絵画を持ち込み、言い値の3億円で買って貰っておきながら、今度は「3億4000万で売らせてほしい」と言って持ち出したが、売上代金も現品も返却していない。これでは3億円を払わせて商品を渡していない詐欺ではないか。他にも売らせてほしいと言って持ち出したままになっている品々があり、それらの合計が7億4000万円にも上っている。鈴木は裁判で「A氏より買ったものだ」と無茶苦茶な事を言い出している。A氏の事を「プロの金融屋」と呼び「反社会的勢力と繋がっている」と言った事と同じく裁判官にA氏の心証を悪くさせようとする卑しい戦略が明らかだ〗
〖2006年(平成18年)10月13日、A氏は紀井氏経由で鈴木へ連絡した。海外に行っていると常に誰からの電話にも嘘をつかせていた鈴木は、紀井氏に「どうしようか」と言っていたが、「社長にはいろいろお世話になっているので、社長には電話した方が良い」と言われ、A氏に対して後ろめたさがあったが日本にいることを伝えてA氏の会社に16時ごろ訪問した。鈴木はA氏から西が香港で襲われたことを聞かされた。そして、A氏から、西を唆して破棄させたはずの「合意書」の本書を提示された。鈴木は驚きで思考停止した事だろう。鈴木は、かろうじてA氏に頼んで西に連絡してもらって3日後の16日に改めて3人でA氏の会社で会うことにしてもらった。西の都合が悪かったのかも知れないが、何故「今すぐ」ではなかったのか。鈴木には自分の頭の整理をするのに2~3日の時間が必要だったのだろう。それが合意書に基づいた株取引はないという強引な開き直りにつながり、また利益の実態を隠して25億円ずつを2人(A氏と西)に支払うと肚を決めることになったが、西に「社長が他から借りている一部にしかならない」と言われ、鈴木はA氏に別途20億円を払うと言った。西が「飽くまで利益が60億円であることが前提だ」と釘を刺した。和解協議を終えてA氏の会社を出た直後に紀井氏に電話をして「100億円以内で済んだ」と安堵した様子を語っていたことで分かるが、本当に鈴木は強欲としか言いようがない〗
〖今回の裁判では裁判官の怠慢もあるが、それにしてもあまりにも鈴木擁護に特化した判決内容である事はおかしすぎる。関係者や取材チームの間では長谷川と品田裁判官の接点が必ずあるというのが一致した見解だという。そうだとしたら談合裁判であり、長谷川が法廷で「この裁判は絶対に勝つ」と大声で断言した事も頷ける〗
〖西は、和解書作成の場で何故、紀井氏から聞いていた実際の利益金の額470億円を言わなかったのか。この日の2人が喧々囂々と罵り合い、鈴木も「オマエ、この場で死ねるのか」などと辛辣な言葉で言い返した。鈴木は合意書に基づいた株取引と宝林株の取得資金3億円をA氏が出したことは認めて、株取引の利益は50億円と言い、その後は60億円と言い直した。A氏と西に25億円ずつの配当を払うと言い、西が「それでは足りない」と言い出したので鈴木は「社長には大変お世話になったので2年以内にあと20億払います」と約束した。そして鈴木はA氏の会社を出た後、紀井に電話して「100億円以内で済みそうだ。ただ香港の金の事はバレていないだろうな」と言っていたという。西が紀井氏から聞いていた470億円の事をA氏に言わなかったのはこの場でも西にもよからぬ考えがあったと思われる。2人はお互いに腹を探り合ってお互いの秘密を守ったのではないか。とんでもない奴らだ〗
〖裁判官が「合意書」の体裁や文言の定義付けに拘るのは仕方がないとしても、宝林株での株取引があった事を鈴木本人が認めているのに、合意書に基づいた株取引が実行された証拠がないとして認めず、審理での場面が変わるに従って鈴木の証拠主張もどんどん酷く変わっていった点や、鈴木が和解後に所在を不明にした後に代理人に就いた平林、青田の支離滅裂な不当な主張、裁判での長谷川による嘘を誤魔化すために無理やりこじつけた主張や裁判を愚弄するような態度に目を向けなかったのは何故なのか。身勝手な思い込みで判決を下してしまったとしか言いようがない。誰が聞いても誤判だったとしか思えない〗
〖鈴木の一連の悪企みには「セレブ夫妻死体遺棄殺人事件」で被害者となった霜見誠という男も関与している。鈴木と霜見は平成14年から面識があったという。霜見は鈴木が仕掛けたFR社の仕手戦に参戦し、大きな利益を得たらしい。後日、霜見は「FR社の株に出会ったことは私の人生を大きく変えた」と言っていたと霜見の周辺の人達は言っている。霜見はスイスに在住し、ドバイでもファンドマネージャーをしていて業界でシロ物と言われるハイリスクハイリターンの投資話を扱っており、トラブルも多かったようだ。ヨーロッパのオフショアカンパニーやプライベートバンクには精通していて鈴木のスイスにあるプライベートバンクの事も知っていた。霜見の周囲の人間の話によると、霜見はドバイの投資話で日本人と裁判沙汰になっていて、そのトラブルで裁判所から呼び出され、プライベートバンクの事で事情聴取をされる予定の2日前に行方不明になったらしい。そして夫婦で地中に埋められ殺されていた。犯人は逮捕されたが犯人の自白に不整合な発言が多くあり真実は闇の中だ。霜見の関係者の間では謎だらけで真犯人が別にいるのではないかと言われている〗
〖あくまでも憶測に過ぎないが、おそらく西も鈴木から何度も「私にもいいスポンサーを紹介して下さい」と懇願され、A氏を紹介する事によって鈴木の案件で自分も利益を得ようという邪悪な考えは少なからずあっただろう。結局鈴木の悪知恵によって最悪の状態にドンドン引きずり込まれ抜け出せなくなってしまい自殺するまでに追い詰められてしまった。身から出た錆としか言いようがない〗
〖鈴木の後輩で、証券金融会社「五大」の社長で吉川という人間がいた。紀井氏が鈴木に任されて売りを果たした株の利益金が「五大」を通して海外のペーパーカンパニーやプライベートバンクに運ばれていた。吉川は鈴木が渡欧する時は度々同行していたらしいが、その後、証券取引等監視委員会にマークされパリに逃亡した。吉川は鈴木の隠し金の「運び屋」的な存在だったというが、鈴木との間でトラブルが発生し、消息不明になった。吉川の知り合いが鈴木に聞いたが、行方は分からず鈴木が「あいつは死んだよ」と言ったのを聞いている。鈴木のヨーロッパでのプライベートバンクの事に詳しい霜見は殺され、吉川は行方不明になっている。どう考えても怪しい。鈴木の隠匿している資産の行方の秘密はまた守られた〗
〖鈴木は平成9年9月~10年5月までの約8ヶ月に発生したおよそ28億円の債務(元金)について、A氏が平成11年9月にFR社の決算対策の都合上鈴木に頼まれて一時的に作成した「債務は存在しない」という内容の「確認書」を悪用して「債務は完済した」と嘘をついた。確認書を鈴木に交付するに当たっては、さすがにA氏も躊躇した経緯はあったようだが、西が手形13枚の額面総額の借用書とあくまでも便宜上作成したことを明らかにした確認書をA氏に差し入れたことで鈴木に「確認書」が交付され、鈴木からA氏あてに「無理なお願いをして、本当にありがとうございました」とお礼の電話が入った事でA氏も少しは安心した部分があったかもしれない。ところが鈴木は「確認書」のこうした事実経緯を全く無視して、あろうことか「債務は完済した」と主張した。とにかく鈴木という人間はどの言動を取っても、道徳観がひとつもない。鈴木が言ったりやったりすること全てに鈴木の強欲な思惑が潜み、いざとなれば自分の都合のいいように事実を捻じ曲げて平然としている。決して社会には受け入れられない邪悪な男だ〗 (以下次号)