〖莫大な金額を争う裁判で、裁判官の頭の隅に「個人では現実には有り得ないのではないか」という先入観があって、この金額を支払うように命じる決断が出来なかったのでは? などと思ってしまいましたが、被告側の証拠は平成11年9月30日付の確認書のみ。これは西に懇願されてA氏が鈴木(エフアール)宛に交付しましたが、それまでに約28億円の返済が一度もないこと(しかもこれには一部詐欺横領分が入っていた)等でA氏にはすぐに決断がつかなかったものの、西が13枚の手形の額面と同額の借用書のほかに確認書(鈴木に交付する確認書は便宜的に作成するものという趣旨)を作成したので応じた経緯がありました。さらに被告の側近の天野裕常務(当時)の証言や紀井氏の証言もあり、誰が見ても判断のつくことでした。裁判官は鈴木の前科前歴も全く参考にしておらず、親和銀行事件でも100億円以上の不正融資を引き出していたことなどを何故検証しなかったのか。鈴木と青田は親和銀行事件では反社の人間でもやらない手法を実行していたことが明らかになっています。他に多くのマスコミがいくつもの事件を取り上げています。裁判官が地裁と高裁合せて6人もいながら証拠もしっかり調べないで、さらには特に控訴審は一審の判決にならって、ほとんど何もしないで事務的に処理してしまった気がしてなりません〗(関係者より)
〖鈴木という人間は証券業界でも評判が悪い。周りの人間とは金と欲だけでつながっていて「金の切れ目が縁の切れ目」という付き合いが多いだけではなく、相手が用済みになったら切り捨てるということから相手が行方不明になったり、不審な自殺をしたり、殺されたのではないかという疑いがいくつもあったが、警察や国税庁が何故動かないのかが不思議でならない〗
〖裁判は何もかも納得のいかない流れです。鈴木は自分がA氏を陥れる事をしたくせに、自分が被害者になって「A氏、西、紀井の3人が自分(鈴木)を陥れるために色々な計画をしていたんだということに確信を持った」などと平然と述べているが、A氏が紀井氏と会ったのは2回ほどで、それも六本木で西と鈴木が一緒だったというから本当に信じられない。鈴木は何故確信したのか、説明したらどうか。一切説明できる訳がない。裁判では何を言っても良いのかも知れないが、真実と嘘の見極めができない裁判官は罪作りで、多くの人生を台無しにしていることも少なくないと思う。時として誰が見てもひどすぎると思うほどの誤った判決が出された場合には再審は絶対に必要である〗
〖何故、株取引ができたか。合意書を交わして最初の銘柄となった宝林株800万株の取得資金3億円をA氏が出した(鈴木サイドはこの出資についても多くのウソをついて主張が三転四転した)。これがスタートだ。しかし、鈴木は大量保有報告書には取得資金の出所を株の売りでパートナーとしてスカウトした紀井氏の名義にした。金融庁への提出日は株を取得した翌日で、紀井氏にはもちろんA氏と西にも許可を取っておらず、合意書を作成した時にも鈴木はその事実を隠していた。判決で裁判官は強迫、心裡留保を採用したが、それが間違いである証拠が多くあるのにどうして間違った判断をしたのか。証明できなければ、品田幸男裁判長は万人に分かる説明をするべきで、それもできなければ撤回するべきだ〗
〖裁判官や弁護士は、司法試験の勉強は真剣にやっただろうが、人間の本性について何一つ学んでいない。これは大きな問題だ〗
〖鈴木は、A氏にピンクダイヤとボナールの絵画を自分の言い値(3億円)で買ってもらったが絵画は持参せず、後日、この2点を3億4千万で売らせてほしいと言ってピンクダイヤを借り出し、返却もしなければ代金の支払もしていない。結局ピンクダイヤをネタにして3億円をだまし取ったことになる。油断も隙も無い詐欺師だ。そのうえ土下座をして涙を流し、A氏の恩情に縋って現金8000万円まで借りて1週間後に返済すると借用書に書いて騙した。しかも逮捕される3日前にA氏から逮捕情報を聞いていた。前代未聞の悪党だ〗
〖証拠の録音テープを聞けば、後出しジャンケンみたいな鈴木の証言の中の“脅かされた”というのが真っ赤な嘘だと分かるやり取りがいくつもあるのに、何故検証されなかったのか不思議に思う。他にも行動と主張が一致していない事が全てと言ってもいいほどなのに裁判官は何を考えていたの?! どこからどう見てもA氏や周りの人、それにネット情報でこの記事を見た人全員はこの判決に納得できるわけがないと思います〗
〖鈴木を含めた4人の人間は、ネット情報の記事でここまで書かれても一切反論できない状況にあるが、裁判では鈴木側の嘘の積み重ねを裁判官が何人もいながらどういう訳か見抜けずに誤審だらけの判決を出して、全てが理解不能だ。関係者や投稿している読者の誰もが誤判だと考えている。再審、弾劾裁判で全てをはっきりさせることでしか誰一人納得しないに違いない。この事件は戦後最大で最悪な事件としていつまでも消えることは無く歴史に残る事件になる〗 (以下次号)