〖鈴木はダミー会社の名義で株売買をしていて自分は裏に隠れていたようだが、兜町では西と共に鈴木の名前が話題になることもあり、証券取引等監視委員会(SEC)からもマークされるようになっていた。そして、志村化工株の相場では西と共にSECに告発され、東京地検特捜部の捜査を受ける事になった。元FRの重役だった武内一美も鈴木の指示で相場に参画していたが、武内の自宅に家宅捜査が入り、西も検察庁に呼び出されて事情聴取を受けるようになったために主犯格の鈴木は己の身の危険を感じるようになった〗(取材関係者より)
〖鈴木が親和銀行に支払った和解金約17億円に国税局は何故興味を示さなかったのだろうか。この時に鈴木をマークして査察をしていれば、鈴木は失効猶予が抹消されて服役したから、鈴木の犯罪は未然に防げたし、A氏がここまでの莫大な損害を受ける事も無かっただろう。国税局の査察は非常に綿密で事前調査も徹底的に行うと言われていて、査察を受けて倒産した法人が数多くあるほどだ。鈴木の脱税を発見できなかったのは役所間の連携が悪いという事に尽きるだろう。お互いにくだらない縄張り意識が強く、犯罪者を摘発する前に面子を重要視するためにいざというときに役に立たないのが役所なのだ。このネットニュースの拡散にも反応がないことにも大きな疑問を感じる〗
〖鈴木がA氏に仕掛けた株取引を利用した詐欺犯罪は用意周到に準備が進められていた。キッカケは西に舞い込んできた宝林株の買取情報だったろうが、いずれにせよこの段階で恩人であるA氏に対して大掛かりな詐欺を計画していた事は間違いないだろう。西は株取引の発端となる宝林株の取得支金3億円をA氏に出して貰っている。大体が好材料のある優良株なら売りに出さないだろうし、材料が何も無い株を買ったところで、泣かず飛ばずで利益が出るはずがない。時期を見てA氏に買い支え資金の名目で金を出して貰う計画だったのだろう〗
〖志村化工株事件で、西は懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けた。刑が確定した後、西は鈴木と会ったが、鈴木は西の逮捕前に約束した事を反故にするようになっていた。西は鈴木の狡猾さには呆れたようだが、自分の配当金に関する交渉は鈴木に負けず劣らずの執念を見せた様だ。しかし、鈴木の狡猾さを知っている西には多少の焦りがあったようだ。この2人の金銭欲は他人の想像力を超えたものだったが、まだ主導権を握ったままの鈴木はのらりくらりと体をかわし続けた。この事が、西を自殺に追い込むプロローグとなってしまった〗(取材関係者より)
〖鈴木は大事なパートナーであっても自分の邪魔になってくると、平気で排除しようとする。そういう意味では西に対しても同じだった。西は志村化工株で鈴木を庇って有罪刑を受けた。鈴木は、西の紹介でA氏と出会って窮地を救われてから西は鈴木の大恩人であったが、鈴木は感謝する事も無く西を利用するだけ利用した。鈴木という奴は本当に質の悪すぎる卑劣な性格の持主だ〗
〖西が株取引の利益金を受け取る為に出向いた香港で、鈴木の手先であるTamに勧められたワインに一服盛られ、殺害されそうになったが、辛うじて一命を取り留めた事は、鈴木にとっては大きな誤算であったはずだ。案の定、日本に帰ってきた西は、利益金を奪い返し、命まで狙ってきた鈴木に対して、鈴木の裏切り行為の一部をA氏に暴露した。香港で鈴木との約束が履行されていたら、西はわざわざ自分の首を絞めることに繋がりかねない事をしなかっただろう〗
〖鈴木は西の思惑を把握していて、事あるごとに西を利用した。A氏を紹介して貰い、そのお陰で窮地を救われた。そして、志村化工株相場では東京地検特捜部に逮捕される寸前だったが、西と密約を交わし、身代わりになってもらった。金の力で西を自分の手駒のように使ってきたが、密約の履行を執拗に迫る西が煩わしくなって、香港での事件を仕組んだのではないだろうか。西の言動にも疑問は残るが、結果的には鈴木と青田に精神的に追い詰められて自殺してしまった。鈴木は自分の相棒も平気で裏切る悪魔の様な奴なのだ〗
〖鈴木は1000億円という資産を海外のプライベートバンクに隠匿していると言われる。鈴木のスタッフだった紀井氏の証言によると、平成18年には470億円の株売買利益を上げていた事が証明されている。それから考えればオフショア地域のプライベートバンクの金利を加算するだけで1000億円以上に到達している計算が成り立つ。1000億円あれば、A氏の請求分を支払っても充分に手元に残る計算になる。今の時代はオフショア地域であっても安全とは言えない。鈴木は大きなリスクを背負って生きて行くだけでは済むはずがない〗
〖破棄されたはずの「合意書」をA氏から見せられたとき、鈴木は西を交えた和解協議の場で何とかしようと思ったかもしれないが、如何に悪知恵の働く鈴木でも、そのときばかりはA氏が納得出来るような言い訳を考えつかなかったようだ。破棄されたはずの「合意書」の存在と排除し損なった西の証言を前にして、「合意書のことは忘れた」と陳腐な返答を返すのが精一杯であったはずだ〗(以下次号)