読者投稿 鈴木義彦編(172)

〖裁判所は、平成14年ごろから「明日の裁判所を考える懇談会」を設置し、司法制度を充実、強化し、広く国民の視点に立って、利用しやすく、分かりやすいものにすることを目指し、各方面からの有識者が参加する顧問会議及びテーマに応じた検討会議が設けられ、検討の過程に多様な国民の意見が反映されるように努めているという。しかし、約20年を経過した今日においても目に見えた改革は行われていない。ピラミッド型の組織も相変わらず、上意下達の慣習も改善されていないのではないか。優秀な裁判官が減少しつつあるという現実は何も変わっていない事を表している。それ故、この裁判の様に裁判官の偏見、怠慢による誤審が減らないのだ〗

〖老練な長谷川は裁判所の内情をよく理解しており、一審で何とか勝訴を勝ち取れば、もし原告側が控訴しても高裁は原審判決をそのまま採用することを経験上から熟知していたのではないか。そして控訴審の判決は、長谷川の想定通りに誤字脱字等の修正のみで終わった。一審でここぞとばかりに「質問と回答書」(乙59号証)なる掟破りの偽証手段を講じ「反社会的組織」のトップの名前まで出して、A氏に「反社会的組織」のイメージを植え付けようとする、なりふり構わぬ手段でA氏の信用失墜に尽力したと考えられる〗

〖鈴木は罪を罪とも思わない人間、テロリストと同じだ。そういう人間が最も危険だ。だからこそこの貸金返還請求の裁判で、まず鈴木は正当に裁きを受けるべきだった。そしてこの事件を皮切りに数々の不可解な事件、株取引を含める全ての違法行為の罪を償わせるチャンスとなる筈だった。鈴木は必ず裁きを受けなければならない。真相の全てが公となり社会の目に晒されて、やっと自分の愚かさに気付く日が来る。しかしその時にいくら後悔してももう遅い〗

〖裁判所は「より良い司法を目指す改革」、「21世紀の日本を支える司法」を目標に掲げ、「裁判の迅速化に係る検証に関する検討会」、「裁判官の人事評価等の検討会」「最高裁判所行政不服審査委員会」等を設置、開催して司法改革を進めていると聞くが、最近になっても司法界全体で多くの様々な問題が表面化している。時間をかけている割に、そして大きな目標を掲げている割には目標倒れで何も改善していない〗

〖裁判終了とともに懲戒処分を恐れて、早々に弁護士を辞めた長谷川幸雄の元に裁判での偽証工作について問い質すためにA氏の関係者が訪れたようだ。長谷川も何を血迷ったか、元弁護士のくせに警察が民事不介入だということを知らぬ訳はないのに警察に泣きついたという。警察側も電話口でその事を伝えたらしいがそれでもなお強引に呼び付けたようで、関係者の突然の訪問によっぽど仰天し狼狽の色を隠せなかったのではないか。心に疚(やま)しさが在る証拠だ。長谷川が鈴木の裁判で犯した偽証の罪や鈴木の犯罪への加担に対する良心の咎(とが)めを内心感じていたからに他ならない〗

〖西と鈴木が出会ってからA氏に紹介するまでの間に2人にどんな話し合いがあったか分からないが、西自身も鈴木の借金に関わり、A氏からもかなりの借金があった為に、おそらくこの頃は西が鈴木を利用しようと思っていたかもしれない。その為にはどうしてもA氏からの資金協力が必要で、西はA氏に鈴木を紹介するとき、会社はどうしようもないが、と言いながら、鈴木については上場企業の社長であり実力があるという誇大評価をしたのだと思う。そして西に信頼を寄せていたA氏はそれを受けて、資金繰りに苦しんでいる鈴木に支援をしたのだろうが、A氏に対しては、返済もない西に対する信頼の大きさに懐の深さを感じるし、西にとってA氏は本当の大恩人なのだと思った。しかしここから鈴木による西を取り込んでA氏に対する裏切り騙しが始まり、西も逆に鈴木に利用される道を辿る事になるが、文字通り因縁の出会いとなってしまった。西もA氏を裏切ってはいたが、A氏に対する鈴木の悪魔のような所業がここまでとは予測出来ず、西は痛恨の極みに思ったに違いない〗

〖西は、A氏が鈴木に融資するにあたって数々の書面をA 氏に差し入れている。これ自体が完全な詐欺行為だと思う。自分に返済能力がないくせに何故連帯保証をするのか、確認書を書くのか。これは鈴木への融資をさせ易くする手段だったに違いない。鈴木に融資される資金を自分も流用したいがための姑息な考えだと思う。そして、鈴木と密約で株取扱利益配当金の内の未受領分をA氏に債権譲渡しているが、それならば何故、株取引の冠する本当の話を包み隠さず言わなかったのか。西も合意書に違反している為、株取扱の配当金を受け取る権利がないから、今まで受け取っている30億円もA氏に返済しなければならないから、言えなかったのか〗

〖本サイトでは裁判結果に関する検証と被告人及びその関係者達の実像に迫り詳細な分析がなされ、明らかに不当判決であることを暴き出している。それに対して鈴木側からは裁判に勝訴したにも拘わらず一切抗議や反論が出てこない。いや反論出来ないのだ。何故なら異論を唱えようものなら、それを発火点に事が大きくなり、今以上に注目を浴びる様になれば、判決そのものが覆されることを危惧した。それを恐れて沈黙を貫いているとしか考えられない〗

〖裁判官に対する評価は「良い判決文を書くより、数多くの裁判をこなした方が出世する」と言われているらしいが、信じられない現実だ。民事でもかなりの誤審があるようだが、原因は司法界の見えざる背景にあるという事か。今回の鈴木事件にしても誤審であることは明らかだが、膨大な事件数の中の一事件に過ぎないという扱いならば、とんでもない事である。事件を軽んじているのではないか。裁判官は社会常識に適合した事実認定をするべきだ。ひとつひとつの事件にそれぞれの人生が掛かっているという事を裁判に携わる人間達は認識し直し、裁判所としても数をこなす事を第一に考えるような評価は即刻止め、制度の改革を進めるべきだ〗   (以下次号)

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