被害届を不受理にする検察・警察の言い訳

コロナ禍で日本の政府、特に厚生労働省や国土交通省、経済産業省等で出されている政策について、さまざまな批判が相次いでいる。
槍玉に上がるのは国交省の「GoToトラベル」、経産省の「持続化給付金 家賃補助給付金」、厚労省の「非正規社員の雇用維持」問題ほかいくつもあるが、いずれも縦割り行政が招いた内部の混乱から生じているという指摘がある。コロナウイルスの蔓延に係る情報が日々発表されていながら、各省庁はそれらの情報を正確な形で共有せず、あるいはGoToキャンペーンのようにすでに実施が決裁されたために止められず、緊急事態宣言が日本政府から発表されても見切り発車した揚げ句に東京都を除外したことで、キャンペーン自体が大きな効果を生んでいないというお粗末な状況になっている。持続化給付金もまた申請を受け付ける広報を大々的に展開しながら、いつまでたっても給付されない申請者が後を絶たない状況も生じた。
こうした政府に対する批判が集中する中で体調を崩した安倍総理があっという間に退陣を表明して、去る9月16日に自民党の総裁に就いた菅義偉前官房長官がすんなりと第99代内閣総理大臣に就任したが、菅新総理の打ち出した政策の目玉が縦割り行政の改革であり、これに国民が反応して直後の支持率は74%と歴代3位の記録となった。いかに行政府が岩盤規制に守られながら権益の保持に走り、国民の声を反映する行政をおろそかにしてきたかが窺い知れる。

「警察あるいは検察に相談する場合、告訴状(被害届)のほかに証拠書類を用意するものですが、被害者が受けた被害の内容を克明に記述しても真剣に聞いてもらえたという経験がありません」と言う被害者の数は以前より増えており、しかも相談事案のそれぞれが切実な被害に基づいた深刻な訴えが非常に多いだけに早く改善するべきだ。刑事事件を扱う弁護士たちから次のような話が聞こえてくる。
「警察の対応が余りにも横着と思うのは、決定的な証拠がないので受理できないということを言う警察官や検察官が多いという点です。それならば決定的な証拠とは何かと聞いても、具体的な明示はない。これでは責任転嫁されているようなもので、正直、腹が立つことばかりです」
多くの被害者は警察に相談しても、本気で相談に乗ってもらえないと諦めている多いのが現状だ。
「ある詐欺事件で告訴状を警察に提出した際に、担当刑事からは事件が発生してから時間が経っていて、今から捜査しても証拠が揃えられるかどうか分からないという。証拠書類の中には加害者本人が事実を認めて被害者に謝罪している書面が期日を違えて複数枚あるのですが、謝罪の書面は加害者が自発的に書いたものだということを伝えても、担当刑事は『仮に逮捕起訴して公判が開かれた時に、加害者が被害者から強制されて書かされたと言って否認したら、それだけで証拠能力が問われることになるから、これは証拠になりません』と言って撥ねつける。そんな話を聞いていると、どれだけの証拠を揃えれば告訴状を受理するのかと、疑心暗鬼に陥ってしまうほどです。しかも、加害者は何年も被害者を騙し続けていましたが、いい加減に成果が出ないことに業を煮やした被害者が加害者に結論を求めたら、あろうことか加害者がヤクザ風情の男を使って被害者を殺そうとしたのです。幸いにも被害者は危険を察知して逃れたので大事には至らなかったが、これは加害者が事前に被害者の殺害を計画したもので故意性がありました。加害者は単に被害者を金銭的に騙しただけではなく命まで狙うような凶悪な人間であるということを担当刑事に伝えましたが、しかし担当刑事は同様に物的証拠がなく、これも加害者が否認したら覆せないと言い募るばかりでした。
被害者が受けた被害の大きさから加害者を告訴したという切実な思いがあるにもかかわらず、それを汲み取ろうとはしない。加害者は詐欺がバレそうになって被害者から問い詰められると、言い訳はするが、結局は『嘘でした。すみません』と言ってその場で謝罪の書面を書いた経緯があり、被害者が許容したので味を占めた可能性がある。しかし、その繰り返しが利かなくなって被害者の殺害計画を立てたと思われますが、それだけの加害行為がありながらなぜ担当刑事は加害者を呼ぶなどして事実関係の確認をしようとしないのか、全く腑に落ちないことばかりです。詐欺事件の告訴は、民事と刑事にまたがった部分があるために確かに立件が難しいかもしれませんが、相談だけに終わってしまうことが繰り返されてしまうと、告訴状を提出しても受理してもらえないと最初から決めつけてしまう危険性が高くなって、これは決して良いことではありません」
とある弁護士は言う。加害者が同様の犯行を繰り返す可能性が高いと思われる事件を、警察官が見抜けないはずはない。将来的に被害者を増やさないということも警察の重要な職責のはずだが、現状の警察にそれを望むのはハードルが高いとしか言いようがない。
とはいえ、警察が加害者(容疑者)を逮捕しても、実際に加害者を起訴して公判を開くかどうかの権限を有しているのは実は検察官にあって、警察が被害者から相談を受けて独自に捜査に入る事案は意外に少ないという。もし、警察が加害者を逮捕して検察庁に送致(書類送検)しても、検察官の判断で起訴、不起訴(起訴猶予を含む)が決められることになるため、不起訴になれば、それは警察の失点になると考えて独自捜査の動きが極端に鈍ってしまうことになる。当然、被害者からの相談を事前に検察に連絡し、検察官の事実上の指示を受けるという流れができてしまうが、その場合、決め手になる証拠がないという前述の常套句は、どうやら検察官の判断によるところが大きいようだ。

先の刑事事件を扱う弁護士は、警察で撥ねつけられた事案を検察庁にも持ち込んだが、一件書類を突き返されたという。その際の理由が「立件は難しい」というだけで、具体的な説明はなかった。
「加害者が犯罪行為を繰り返していることを告訴状に盛り込みましたが、それは加害者には犯罪を自ら抑止する考えがほとんどなく、二度三度と同様の犯行を繰り返す人間なので、ここで止めてほしいという処罰感情から記述したものですが、実際にはその時点で担当検事の名前も分からず、連絡を待つよう言われただけでしたから、一件書類が返送された時にはがっかりしました。
刑事訴訟法では検察が告訴を受理することが義務付けられていますので、それを強調した要望書を出すなどして再検討してもらうことにしたのですが、結果はやはり不受理で押し切られました。こちらから何度も電話したことで、ようやく検察官が名前を名乗りましたが、不受理を決めた検察官とは別で、その検察官によると『現時点で何が立件可能で、今後の捜査として何を行えば良いのか判断がつかない』という話でしたが、全く要領を得ないもので、また暴力団が絡んだ背景事情についても『検察には暴力団に対するノウハウが少ないので、第一次捜査は警察において行うべきだ』と言うに留まっていました。被害者が殺されかけたという事件に対する認識がこれでは、ただやる気が無いとしか言いようがありません。最初から条件を設定しているかのような言い方もありますが、まさに高い有罪率の維持しか検察官の発想にはないということで、本末転倒も甚だしい」
被害者が加害者に対する相応の処罰を求めていても、警察や検察が真っ当な対応をしなければ、犯罪を繰り返す人間がのさばるだけで、これで法治国家と胸を張って言えるのか、大いに疑問だ。
折から、菅新政権では行政や規制の改革を優先課題として取り組む姿勢を見せているが、警察や検察の権威を守るという大義は捨てるべきで、有罪率の高さなど権威の裏付けとする方が間違っているのではないか。こんなところに公務員としての警察官や検察官の怠慢が潜んでいるのでは、コンプライアンスでは世界の上位国にあると言われる日本の文化に歪みが起きてしまう。(以下次号)