疑惑 強欲の仕手「鈴木義彦」の本性

第5章 相場師「西田晴夫」

西田晴夫は「最後の大物相場師」と呼ばれた、いわゆる相場師である。西田グループの扱う株は「N銘柄」「西田銘柄」といわれ、証券市場を騒がせ続けた。無類の女好きとしても知られ、口説き落とした愛人にマンションを買い与えたうえ法外な生活費を渡すなど羽振りの良さでも知られていた。2007年10月に旧南野建設(現アジアゲートホールディングス)が2002年11月に実施した約12億4000万円の第三者割当増資(新株予約権)発行に関連し、同年11月~12月にかけて仮装売買を繰り返し株価を操作した金融商品取引法違反(相場操作)容疑で大阪地検特捜部に逮捕された。公判中に持病の糖尿病が悪化して脳梗塞を発症した。2010年4月に控訴棄却。2011年3月4日に死去した。
鈴木と西田晴夫との付き合いは最初の「宝林」の株取引から密接で、西による株価の買い支えは勿論あったが、西田グループによる活発な株売買によって、宝林株はピーク時で2300円の値を付けた。西は1株37円で宝林株を取得することに成功していたから、実に63倍近い値で売却したことになる。それゆえ鈴木は銘柄選びや株取引で西田グループを大事にしていた。
2000年(平成12年)、FRの株を1株50円で約50億円のユーロ債を発行し、100~360円で売却、西田グループには割り当て株を譲渡して協力を依頼していた。
2000年5月に実行された「アイビーダイワ」という銘柄で鈴木は西田グループと共同で株価を操作した。これは鈴木が主導して行ったわけではなく、西田グループの東京事務所で秘書をしていた白鳥女史が中心となって行ったことだった。およそ70%を白鳥女史、20%を鈴木、残りを西田グループの出資にて、およそ12億円(1株50円で2400万株)のユーロ-債を発行した。従って鈴木が引き受けた金額はおよそ2億4000万円であった。鈴木はこのこともA氏へ報告していない。その後、株価は700円前後にまで高騰した。鈴木及び西田グループによる株価操作である。大変なIR活動、国内の証券新聞および投資顧問会社等への資金提供により、一般投資家に多額の購入を持ち掛けた結果である。
この件で中心人物であった白鳥女史はこのユーロ債で15億円以上の利益を上げることが出来た。ただ、白鳥女史にSEC(証券取引等監視委員会)及び国税庁(東京国政局?)から内定調査が入り、彼女は2002年(平成14年)にヨーロッパへ逃亡し、未だ帰国が出来ない状況にあったという。ちなみに鈴木は西が経営するTAHの第三者割当増資の際に西から要請を受けたものの自分の資金を使わず、この時多額の利益を上げた白鳥女史に2億円の増資(出資?)を実行させている。
しかも鈴木は西との間で利益を折半すると約束していながら、実際には西に対しても利益分配を先延ばししていたことがFRやアイビーダイワという2件の株取引の現場を見ただけでも分かる。西が分配に与ろうとしてTAHの第三者割当増資を持ち掛けても、鈴木は自身では一切協力することなく白鳥女史に2億円を出させた。全く抜け目がなく、西の要請をも狡猾にすり抜けている。鈴木に株の売り抜けを任されていた紀井氏は「鈴木の人間性を見ていて金への執着心は恐ろしいほど強い」と言う。鈴木は本当に酷い男である。これでは周囲の人間が離れていくのがよく分かる。
こんな人間を罰せられない裁判官たちの判断が許せない。このような裁判官がいる限り今後も不審な事実認定や判決が続くのかと思うと一層不安になる。
西田グループの「総師」である西田晴夫(故人)については余りにも有名である。同人が手掛けた銘柄として有名になった株の過半数は鈴木が多額の利益を上げた銘柄と一致している。また株取引への取り組み方として、西田は自らの証券口座だけでなく銀行口座さえ持たずに周辺関係者の口座を使うこと、預金や不動産などの個人名義の資産もほとんどなく、周辺関係者の口座に溜まった潤沢な資金のみだったという。そして無類の女好きだった。鈴木がそっくりそのまま手本にしている。社債や株式の取得名義人は鈴木がオフショワ(海外の新興国)のタックスヘイブン(租税回避地)に用意した外資系資本会社を装うペーパーカンパニーであり、株価を高値誘導するのは西(A氏資金)や西田グループ、そして取得した株の売却を任された紀井は外資名義で証券金融会社を経由して取引することで鈴木の名前が出ないよう二重三重の煙幕を張る慎重さだった。
恐らく鈴木は株取引で西田氏の相場作りでの協力を得るだけでなく、その取り組み方すら取り込んでいたに違いない。鈴木のような詐欺師、強欲な仕事師と呼ばれる悪党はやはり計算高く、狡猾だということだろう。しかしそんなことが永遠に続くことは無いことを胸に刻むべきだろう。汚れた資金を次代に残しても外為法違反、脱税等のレッテルが張られた金をどうするのか。何の役に立つと考えているのか。鈴木は未だにヨーロッパに逃避行中で西田氏の愛人といわれる白鳥女史をも取り込んで西田氏の「資産」も鈴木が取り込んでいるのではないかと言う関係者も多くいる。

裁判所の状況
裁判官の実態を明らかにする書籍が少なからず出版されている。問題判決を実例として取り上げて裁判官の姿勢を問い、原因を探る内容が書かれているので、いくつかの例を引用する。
「絶望の裁判所」「ニッポンの裁判」ほか「民事訴訟の本質と諸相」「民事保全法」など多数の著書を上梓している瀬木比呂志氏は1979年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務してきた経験から「日本の裁判所には、戦前と何ら変わりのない上命下達のピラミット型ヒエラルキーが存在していて、その結果、「何らかの意味で上層部の気に入らない判決」あるいは「論文を書いたから」という理由で突然左遷されるという。異動の辞令を受けた裁判官は何故左遷されたのかという基準が分からず、また、どの判決文によって反感を買ったのかを推測するしかないないからいつ報復されるかも分からない不安に駆られるために、多くの裁判官は上層部の顔色ばかり窺っていると言うのだ。「判決の内容は間違っていなくても、上層部の気に入らない判決を書いたという理由で人事に影響する。裁判所には“自分の意見を自由に言えない”と言った空気が蔓延しているので組織が硬直してしまっている」と瀬木は「裁判所の状況」を憂慮している。
「裁判所の服務規定は明治20年(1888年)に作られたもので、休職は勿論、正式な有給休暇の制度すらない」「かつての裁判所は、平均的構成員に一定の能力と見識はあったので「優良企業」だったが、今の状況では「ブラック企業」と呼ばれても仕方がない」という。(以上ITmediaオンラインのインタビューより)
「いい裁判官とは? 普通に言えば、質の高い判決文を書ける裁判官のことだが、実際の評価基準は、『どんな判決文を書いたか』ではなく『何件終了させたか』です」と中堅弁護士がコメントしている。
「裁判所では、毎月初めに前月末の「未済件数」が配られる。裁判官の個人名は記されず、「第〇部〇係、〇件」とあるが、どの裁判官がどの事件を抱えているかは周知の事実。前月の件数と差し引きで、誰がどれだけ手掛けたかがすべて分かる」と言うのだ。
また中堅弁護士もPRESIDENT誌(2012年12月3日号)に次のような一文を寄せている。「事実上これが彼らの勤務評定。判決文を何百ページ書こうが、単に和解で終わらせようが、1件は1件。和解調書は書記官が作るから、同じ1件でも仕事はすべて書記官に押し付けることが出来る」
本来、裁判官は「準備書面を読んで、事実関係を整理し、理由と結論を書くべき」としながら「きちんとした判決を書けない裁判官が、準備書面をコピー&ペーストして判決文にしてしまうのが横行している」(前出瀬木氏)という。
本稿で問題にしている裁判官も「合意書」の有効性や実効性については鈴木側の主張を丸呑みした格好で西や紀井氏の陳述を軽んじたり無視をして否定したのではないか。さらに東京高裁に至っては、第二審として独自の検証をせず、見解も示さないまま、ただ地裁判決文の誤字、脱字などの誤りを訂正しただけという余りにお粗末な判決を平然と出した。貸金返還請求訴訟の判決は誤審を重ねたあげくの誤判であるとする所以だ。

誤 審
①裁判官は「合意書」に基づいて鈴木と西が株取引を実行した痕跡が見られず何より平成18年に「和解書」が作成されるまでの7年間に株取引に係る三者の協議が行われたという具体的な証拠も出されていないと言って「合意書」の有効性や実効性を否定した。しかし、A氏側には以下の通りの理由があった。
*西が鈴木に頼まれて「鈴木は海外に出ている」「都内のマンションの1DKで一生懸命頑張っています」とかの報告をさせていて、故意にA氏と会わないようにしていた。
*A氏は何度となく興信所を使って鈴木を探したが居場所が分からなかった。
*鈴木は住民登録しているところには住んでいなかった。
*利岡が興信所を使って尾行もさせた。麻布の高級マンションに愛人と住んでいたことが分かったが、それに気付いた鈴木は青田を使って売却させてしまった。ちなみにこのマンションの名義は鈴木がオフショワに作ったペーパーカンパニーだった。
*鈴木は株取引のスポンサーであるA氏にも電話番号を教えなかった。
*父親の住む地元警察から電話した際に「明日電話すると」言ったにもかかわらず電話はかかってこなかった。
以上の理由だけでも7年間の空白は埋まる。そういう証拠は審理の場に提出したが裁判官は採用しなかった。何故、裁判官は判断を誤ったのか。
鈴木と西が仕掛けた株取引で、鈴木は徹底して自分の存在を消しにかかった。自分の名前を表に出さず、ユーロ円建転換社債(CB)や第三者割当増資による株式の取得はペーパーカンパニーの外資名義で行い、市場で西が株価を高値誘導するとタイミングを捉えた紀井氏が投資会社や証券担保金融業者を経由させて売り抜ける。これら一連の取引に鈴木は名前を出さなかった。それゆえ西が志村化工株の相場操作容疑で逮捕された時も西が鈴木の関与を白状しなかったために鈴木は逮捕を免れた。東京地検特捜部が必死で探しても逮捕されなかったぐらいだから、A氏側が居場所を探しても解らなかったのは無理がないかもしれない。そうした密室のような状態の中で、鈴木がスカウトした元山一証券の茂庭に株取引の利益金を海外に送金させる仕組みを作らせ管理をさせていた。そして西が買支えて高値誘導した株を紀井氏に売らせていた。鈴木は茂庭と紀井氏は事務所も別にさせ接触をさせなかった。限られた人間によって仕事を分担し、スタッフ同士の会話もなく株取引が行われた実態を裁判官は何ら検証もせず、紀井氏をただの「電話番扱い」に出来るのか。紀井氏には甚だ失礼な話ではないか。「合意書」と「和解書」を無効と判断した根拠が、被告側の準備書面をコピー&ペーストしたことにあったのではなかったのかと邪推せざるを得ない。

(平成18年10月24日付で紀井義弘が作成した確認書。鈴木が仕掛けた株取引の銘柄とそれぞれの獲得利益の明細が記された)

鈴木が取得した株の売りで専従していた紀井氏は平成18年当時、平成11年から同18年までの 7年間で利益が470億円以上と明言していた。鈴木は紀井氏をスカウトする際には合意書に違反して「利益を折半しよう」と言っていたが、実際には1/10どころか1/100にもならなかったと紀井氏自身がこぼしていたという。そのころの紀井氏の収入は6000万円ぐらいで、鈴木はその100倍以上の60億円以上を毎年のようにオフショアカンパニーにたくわえていながら税金は一切払っていなかったとみられる。紀井氏が一人で株を売っていたのは事実である。株を高値で処分しているからこそ全ての個々の銘柄で出た利益は把握できていた。返す返すも残念だが、何故裁判官は紀井氏の証言を軽視してしまったのか、鈴木側に紀井氏の証言を否定できるだけの証拠があったのか。恐らく鈴木はいつものように「そんな事実はない」と一言、言っただけだろう。それを採用した裁判官には呆れるばかりだ。
また、紀井氏は、西に実際の株の動きを話し、470億円の利益が上がったことを話し、その時に扱った銘柄と銘柄別の利益まで書いた「確認書」を作成して裁判所に提出したが、何故か裁判官に採用されなかった。その後、紀井氏は鈴木のもとを離れ、西の香港の事件を聞いたことで自分の身に危険を感じて行方をくらました。鈴木と一緒に株取引の仕事をしてきて鈴木の周囲で起こった事件や不審な出来事を知っていたし、鈴木に裏仕事を頼まれていた青田光市の事もよく知っていた。
茂庭も、西が鈴木の株取引に疑問を感じて調べ始めたころに紀井氏と同じく鈴木の実際の株取引に関する470億円の利益金について教えてくれた人物だ。鈴木が、自分が表に顔を出さないようにするためにスカウトした茂庭は、元山一証券のスイス駐在所長で山一證券は1997年に自主廃業したが、簿外損失が2000億円を超える額まで膨らみ、損失を隠すための現場がヨーロッパ各国にあり、茂庭も簿外損失を隠す中心的な役割を果たしてきた経緯があったことから、そのノウハウは鈴木にとってまさに利益隠匿で大いに役に立ったはずであった。紀井氏が株の売り専門なら茂庭は鈴木が海外に送る利益金を管理する立場にいた。茂庭はFEAM社の一部屋を使って仕事をしていたが、鈴木が西に茂庭の仕事内容を詳しく話すことは無く、却って遠ざけるようにしていた。しかし西は自殺をする前に茂庭にも手紙(遺書)を送っていた。内容は、「A社長、私、鈴木と交わした合意書に関して、未だ何一つ実行していない鈴木を私は許すことが絶対できません」と綴り、さらに「茂庭さんもしっかりと事実の確認をしていただき、鈴木氏と一緒に仕事をするには自分の立場を良くわきまえて行動することが大事です」と忠告している。
西は、鈴木の数多くの場面を見てきている。裁判の判決にも大きく影響するほど鈴木の実態を事実に基づいて明らかに出来たに違いない。最低でも鈴木が言いたい放題に虚偽の主張を繰り返すことは出来なかった。裁判官もまた、実態を無視して「合意書」と「和解書」を無効にするような判決を下すことは出来なかったはずだ。取材によると、東京地裁の判決が出る直前に鈴木の代理人であった長谷川元弁護士が法廷内で「この裁判は絶対に勝訴する」と大声で断言したというが、何の根拠があってそんな言い方になったのか、文字通りに受け取れば裁判所関係者から事前に何らかの情報をもらっていた事になる。そんなことがあるのだろうか。裁判官はA氏の鈴木への貸付金は、当事者はFRであって鈴木個人ではないと認定したが、FR社当時の常務だった天野氏が鈴木の主張を否定しているのに、何故当事者が鈴木ではないと言えるのか。A氏から融資を受け始めたころからの経緯を調べれば分かることであり、裁判官は鈴木の悪巧みだと見破れなかったことは不思議としか言いようがない。

赤坂の噂
A氏、西、鈴木は、知り合った当初は連れ立って飲食をする場面もあったという。取材によると三人とも長身で、常に高級感がある衣服を纏っていたこともあり、目立つ客だったようだ。A氏は周りを楽しくさせながら気を使って飲むタイプのようで、支払いもほぼA氏が負担していたそうだ。西は自分を大きく見せて、大きな金額の仕事の話をホステスに聞こえるように喋るタイプで、A氏によく窘められていたようだ。鈴木はタイプの女性がいると「バンスは払ってやるから」と言って口説き落とすとすぐ店を退かせて愛人にするタイプだったようだ。口説き落とせたかどうかの成功率は筆者には知る由もないが、店にとってはそれぞれが上客であることは間違いのないところだったという。西は自分が口説きたいタイプの女に会うと、高級な飲み物を一度に数本もオーダーし、高額な料金も平気で払うこともあったという。やはりA氏にそうした行為を注意されると「社長の顔があるから」と言って得意になっていたという。赤坂では数件の店で取材したが、どこへ行ってもA氏の評判は頗る良かったが、西は女性に入れ込んで相当貢いだこともあって赤坂界隈では有名だったこともあったようだ。野暮になるが西が派手に使っていた金も全てA氏から支援を受けている資金の中からと思うと腹が立つが、A氏はそんなことは顔にも出さず笑って一緒に楽しんでいたという。ある時、西の軽口からA氏が莫大な資金を西に貸していることを聞いた店のオーナーママが心配してA氏に忠告したこともあったというが、A氏は笑って聞き流していたと店のスタッフが内緒話として教えてくれた。気に入った女性に赤坂で一番の店をやらせることを内緒にしてA氏から6億円をだまし取ろうとしたことがあり、これは事前にバレて話がなくなったが、気に入った女性にはソウルに8000万円の家をプレゼントしたりするなど、お世話になっている人の金を、いったいどう考えているのか。鈴木よりはましだが、正常ではない。
FRの天野氏も赤坂では名を馳せていた。たまたま一緒の店でA氏と天野氏が出くわした時があった。天野氏は数人の部下と飲んでいたが、わざわざ部下たちを連れてA氏の席に挨拶に来て「今、鈴木が問題なくやっていられるのは、全てA社長から莫大な支援を受けているからだ」と言っていた。とこれもその店の幹部スタッフから聞いた。このような時代もあったのだ。鈴木と西が人間の心を持っていたらと残念でならない。