「種子田益夫」の巨額債務を長男吉郎に問う

第3章 長男吉郎に問われる社会的責任

吉郎が中核となる牛久愛和総合病院の理事長に就いたのは日本大学(芸術学部)を卒業して間もなくのことで、もちろん当時は医師の資格が無ければおいそれと理事長に就任することはできなかったし、またその後、父益夫が全国7施設の病院を買収していくたびに吉郎が理事長に就いていったが、吉郎に病院を相次いで買収する財源があった訳でもなかった。そのような父益夫の“ダミー”に過ぎない吉郎が理事長としての社会的責任をどこまで自覚して果たしてきたのかは大きな疑問である。

吉郎にとって最大の疑惑は前述したとおり、昭和50年代後半から同60年代初めにかけて医師の資格が無ければ理事長には就任できなかった課題をどうやってクリアーできたのか、という点である。つまり吉郎が理事長に就いたのは“ウラ口”であり、そのウラ口は多分に違法性の高い特殊なものだったということになる。

(写真:陳述書。田中延和氏は種子田の側近で、長男吉郎を理事長にするために尽力したが、種子田は田中の功績に応えなかった)

種子田の側近だった田中延和が「(吉郎が)大学を卒業したのを機に一ヶ月間アメリカの医療状況を見るためにツアーに参加した」と記しているように、それが吉郎にとっては病院経営の始まりだった。医師の資格はないから、当然知識や情報も積み上がらず、経験とノウハウも無いまま「大阪、高知、九州、牛久の4ヶ所の病院をコントロールすべく東京本部を創り」、田中が専務、吉郎が常務に就いて、全て種子田益夫の指示に基づいて具体的な方針を実行し運営に当たっていたという。種子田が全国の病院を買収し、グループを形成していく中で東京本部は次第に拡充していくが、吉郎はそこにアグラをかいていたに過ぎず、全ては父益夫の指示によって側近の田中が吉郎のためにお膳立てをしたのが実態だった。そして、種子田が刑事事件で有罪となり刑務所に服役すると、これも種子田の指示に基づいて病院グループは積極的に種子田のアイワグループとは一線を画していったという。

しかし、病院の買収や施設の拡充が種子田の巨額債務によって進められ、今日を迎えていることは明白だから、その事実を無視して病院の経営だけを切り離した状況を維持しようとすること自体に大きな問題がある。なお、田中は一歩も二歩も下がったような口ぶりで語っているが、実際には田中がいなければ、アイワグループも病院も現在の形にはならなかった。

〇無礼極まりなかった吉郎の電話応答

T氏は令和元年7月、種子田に対して貸金5億円の返還を求める訴訟を東京地裁に起こした。

関係者によると「この5億円は貸金のほんの一部に過ぎず、種子田氏への最初の融資が発生した平成6年以降、貸金が返済されたのは2回程度、それも債権者に信用を植え付けることを目的としたもので、その後の融資では元金はおろか金利の支払もされずに累積していった結果として、債権の総額が平成15年5月15日の時点で368億円に達していた」と言うから、想像を絶するような金額である。それ故、関係者も「今年(令和元年)現在で債権総額の全額を請求することは可能だが、元金の一部のみを請求することにした」と言う。種子田のやっていることは詐欺も同然の手口で満ちている。

種子田の長男、吉郎は各病院の理事長として、例えば「患者様の意思を尊重し生命の尊厳とプライバシーを守り……」(宮崎医療センター病院)とスローガンを謳って、一人ひとりの患者に寄り添った医療を目指していると強調するが、当の吉郎自身がT氏たちに対してはまるで逆の対応をしているのだ。そのように明らかな二面性を持った生き方を大学卒業から今日まで約30年以上も続けてきた吉郎並びに表向き吉郎が率いてきた病院グループを、仮に一人の患者としてどこまで信用、信頼して命を預けることができるものだろうか? 極めて大きな疑問である。

「父親が作った巨額の負債は、病院を買収するための財源に充てられたもので、債権者からすると貸金が病院に化けたと言わざるを得ない。吉郎が父益夫の巨額の債務を『私には関係ない』と言い続けること自体あまりに身勝手すぎ、父益夫の債権者を始めとする関係者と真摯に向き合う責任を負うのは当然のことではないか」と関係者が言うように、いつまでも吉郎の姿勢が通るはずは無く、また周囲もそれを許して見過ごすことなどあってはならない。

T氏にとって、種子田に対する債権が発生してから訴訟を起こすまでにかなり時間が空いているが、それは前に触れたとおり、ただでさえ返済の話になると部下をT氏のところに差し向けて自分は逃げ回っていたのに加えて、分かっているだけでも3つの金融機関を破綻に追い込むような不正融資を受けて刑事事件となり、数年間は事実上本人と接触が出来ない状況にあったからだった。また、種子田の背後に控える反社会的勢力の存在も大きく影響したと言っても過言ではない。

病院の買収資金の調達で、種子田益夫はT氏たちに「病院を売却してでも返済を実行します」と約束してきた。「息子の吉郎は理事長に就いているが、本人も『いつでも病院をお返しします』と言っていますので、間違いありません」とまで言っていたが、T氏がそれを実行させようとする段になると、種子田はのらりくらりと曖昧な態度を取り続け、所在を不明にし続けた。そして、T氏が種子田に会った平成22年12月には「今後は働いて返します」とまで言い出したのだ。そのような経緯がありながら、吉郎は父親の債権債務には一切関係はないし関知もしないという横着な対応を取り続けてきた。吉郎が債務は関係ないというのであれば、すぐにも理事長の職を辞するべきだ。吉郎が自分の稼いだ金で病院を買収したというのであれば、資金の説明をするべきだ。

種子田の側近だった田中延和が、吉郎を説得してT氏に電話を架けさせたことがあったが、その際に吉郎は「社長も周囲の方もお金持ちばかりだから、そちらで何とかしてください」と言ってすぐに電話を切ったのである。父益夫が多額の債務を返さず長い年月が過ぎている事実、T氏たちから融資を受けるに際して病院を担保にすると言ったうえで売却で返済原資を作るとまで言っていた事実を知りながら、そのT氏たちに対して発する言葉ではない。しかも一方的に電話を切っておいて、T氏がかけ直しても吉郎は電話に出なかった。それだけでも吉郎に社会性が全くないことがよく分かる。

医師の資格もない吉郎が、どうして理事長に就き、現在に至っているのか。自力で病院を買収することもできない吉郎が、何故、続々と病院をグループの傘下に収め経営を維持することができたのか。そうしたいくつもの疑問に、吉郎を始め親族一同には答える義務があるはずで、父益夫の債務は一切関係ないという言い草は筋の通らないものだ。

種子田が死亡した今、それで種子田がしでかした不始末が終結する、と吉郎は胸を撫で下ろしているかもしれないが、何の責任も果たしていないところで、逃げ得が許されるはずはない。吉郎が愛和病院グループの理事長に就いてきたのは飽くまで父益夫の指示によるもので吉郎は完全なダミーであって、吉郎自身が自分の力で資金を調達して買収し、経営を維持してきた病院は一つもないということだ。

吉郎自身が病院の収入から毎月6000万円という大金を父益夫に提供してきた事実、父益夫の債務に係る金利等の返済で吉郎自身が反社会的勢力と接触した事実、そして何より、大学を卒業して間もなくの時期から、父益夫が買収した病院グループを束ねる「東京本部」の中枢に収まり理事長職に就いていった事実等、挙げていけばキリがないほどに吉郎が父益夫のダミーであるという実態が浮かび上がってくる。吉郎は、公の身分や肩書を持ち得なかった父益夫の代わりに永らく理事長に就いてきた故に、重大な責任があるということなのだ。

こうした吉郎を巡る病院グループの私物化問題(理事長在任問題)については、吉郎個人の問題を含め市民団体やオンブズマンが高い関心を寄せている中で、常仁会グループの全病院に係る各自治体への照会や告発等さまざまに検討されているという。何よりも種子田が存命中に病院を担保にしなかった事実は、常仁会グループの各病院に巨額の負債が隠れて存在していることを意味しており、事と次第によっては病院経営そのものに影響が出るということなのだ。

長男吉郎は、父益夫のダミーとして常仁会グループの東京本部を統括し、牛久愛和総合病院を始め各病院の理事長を務める中で、恣意的に関係を遮断する手段を父益夫と共に講じてきた。それは正に悪質そのもので、病院グループの権益を享受しておいて父益夫が負ってきた債務は何も関係ないとする対応は許されることではなく、吉郎は社会的な責任を負う立場にある。相続放棄についても、全く支払い能力が無いわけではなく、それどころか吉郎以下家族や身内は病院に関わってかなり高額の報酬を取って立派な家に住んでいるのが現実である。そうであれば、父益夫の負の遺産をしっかり清算したうえで、必要ならば相続放棄をするのが筋ではないかと思われる。それをしないでのうのうと暮らしているというのは誰に聞いても非難すべきことというのは明らかだ。常仁会グループの病院には、そうした極めて不健全で深刻な問題があるという点に市民団体もオンブズマンも着目しているのだ。

今後、父益夫がいなくても吉郎が理事長職を継続していくことは可能なのか。冒頭にも記したように、吉郎は周到に準備を進めているのかもしれないが、自らの責任と義務を真っ当に果たさぬ限り、未来永劫にわたって吉郎自身や一族(家族や身内)の社会的信用が回復することは今後も絶対にあってはならない。