疑惑 強欲の仕手「鈴木義彦」の本性

第3章 悪党!鈴木の共謀者

長谷川幸雄元弁護士
裁判資料を見ていると、鈴木の代理人のリーダー格であった長谷川元弁護士の論法には相当な無理があるのではないか。筆者は長谷川元弁護士の過去の裁判記録を調査している最中であったが、長谷川は何故か鈴木の裁判の勝訴後弁護士登録を抹消している。長谷川元弁護士の履歴調査は今後も継続していくが、関係者全員が弁護士を廃業しても人間としての彼の所業は消えるものではなく、絶対に許せないと言っている。
特に長谷川の過去に携わった裁判には興味大である。取材によると、鈴木の裁判に限って言えば法廷で大声を出して裁判官に注意されたり、相手方の弁護士を威嚇するような言動があったり、かなり型破りな弁護士だとの印象があるがそれも裁判戦略なのかもしれない。鈴木とは過去の親和銀行事件でも弁護を引き受けていて親交があった。鈴木は懲役3年の有罪で4年の執行猶予という判決を受けている。親和銀行事件では筆者は直接事件に関係していた数人に取材していて、かなり詳しい情報を掴んでいる。これらの事件関係者からは鈴木の犯した行状からして刑は軽かったのではないかという意見が多かった。この裁判でも虚々実々の駆け引きがあったようだ。噂では相手側の代理人弁護士との談合もあったのではないかと言われている。そういう意味では長谷川は「腕のいい弁護士」であったのかもしれない。
鈴木は、親和銀行に損害補填名目の示談金17億円を支払った。そして他にタカラブネ株の返還請求訴訟を起こされていた原告の山内興産にも4億円超の示談金を払っている。鈴木はこのような事件を他でも起こしているのである。この当時から長谷川は鈴木の代理人として示談金の出どころは当然知っていたはずだ。当時の鈴木に表向きには自己資金などあるはずはなく、「合意書」を基にして稼いで隠蔽していた株取引の利益金の中から支払ったのは容易に推測がつくはずである。長谷川はこの当時から、いや、最初からに鈴木の悪事を充分知っていながら今回の裁判の弁護を引き受けたのだろう。
鈴木も長谷川も鈴木の嘘の全てが悪事に繋がり、全てが解明されれば最後には国外に隠蔽している1000億円に辿り着いてしまうことを恐れていたのだろう。二人は当時から一蓮托生で嘘が嘘を呼び、嘘が重なり合っていったに違いない。それゆえに鈴木の発言の全てを擁護し、原告に対してでっち上げや言いがかりをつけて反論していった。一つの嘘が暴かれるとすべてが崩壊することを知って、必死で鈴木の嘘の主張を真実として擁護していたであろうと思われる。まったく許せない悪党たちである。何故、裁判官たちは彼らの嘘と悪事に気が付かなかったのか不思議でならない。また、国税当局もこの莫大な示談金の出どころを何故、調査しなかったのだろう。

しかし、鈴木と長谷川はある意味大きな失敗を犯してしまった。それが「乙59号証」である。裁判は勝訴したがそれで良かったのか。裁判を通して「鈴木と長谷川の悪党振り」と、「1000億円の海外隠匿」の行方にネット記事を読んだ読者からの驚くほどの数の反響投稿があったようだ。当然のことながら複数のマスコミも大いに興味を持ち各方面への取材が殺到しているようだ。今後、鈴木と長谷川は、家族を巻き込んで世間の目に晒されることになる。
裁判に「被告の偽証罪は適用されない」ことをいいことに「乙59号証」の台本を書いたのは長谷川だろう。さながら漫才師のボケとツッコミのような掛け合いで茶番を演じている。本人たちは主役になったような勘違いをしているがこの内容は読者を怒らせ、世間の反感を買い、マスコミの興味をそそった。何よりもA氏が「反社会的組織を金主として貸金業を営んでいるプロの金貸しである」等とありもしないことをでっち上げ、いかにも悪徳な金貸しだという印象を裁判官に与えた「乙59号証」の内容は前代未聞である。鈴木と長谷川元弁護士は命知らずと言わざるを得ない。
噂では名前を使われた「反社会的組織」の関係者が「勝手に名前を使われて有りもしないことをでっち上げられ、トップの名前をも使われてこのまま放っておくことはできない。面子に関わる」と本気で動き始めているのではないか。弁護士としての長谷川と鈴木の茶番劇を見抜けなかった裁判官には世間の風当たりが強くなっていくだろう。鈴木はかつて周囲の関係者たちに自分がしてきたような仕打ちが待っている覚悟をしているのか。長谷川は悪徳弁護士として名を馳せ、家族にまで大きな影響が及ぶことを認識しているのだろうか。裁判官は無能な裁判官として話題になり、そして何よりも裁判所の信頼さえも貶めてしまったことの責任は大きい。長谷川は弁護士バッジを外しても逃れられないことは覚悟しておいたほうがいいだろう。
この「乙58号証」「乙59号証」には鈴木が西に紹介されてA氏に初めて融資を依頼に行った時の事は全く触れていない。要するに鈴木がA氏に融資を受け始めた、この事件の原因となる大事な部分が一切触れられていないのだ。

平林英昭弁護士
取材によるとA氏が「貸金返還請求訴訟」を提訴する前から鈴木の代理人として様々なやり取りをしてきたのが平林弁護士である。理路整然とした話し合いが出来ず弁護士としての能力が不足していると関係者は証言している。同じことを何度も繰り返し、質問や回答が二転三転し、A氏側から証拠を突き付けられると辻褄の合わない事を言い出すことが多く「常識では考えられない」とか「到底理解できない」とばかり発言しているが、自分で自分の能力を晒しているようなものだ。鈴木自身も平林のことを「仕事が出来ない。使えない」と自分の父親に言っていたそうだが、最後まで代理人として立てていたのはある程度平林に秘密を握られてしまったからではないかと思われる。そして鈴木にとっては自分の嘘とでっち上げた話を何の疑問を感じることもなく相手側に伝える道具として便利だったのではないだろうか。鈴木は何かの意図があって平林弁護士を裁判の時間稼ぎに使っていたようにさえ思える。
A氏が鈴木の要望で当時代理人にしていた利岡は、青田と平林弁護士とは何度も話し合いをしている。A氏が利岡と一緒に平林弁護士と面談した時に「社長さん、50億円で納得していただけませんか。鈴木もそれを望んでいて、すぐに払うと言っているので」と打診をしたり、その後はことが表沙汰にならないように「調停で決着をつけましょう」と発言していたが、いざA氏が調停を申し立てると、1回目は姿を見せず、2回目は30分以上も遅刻して不調に終わらせたために本訴に切り換えた。
裁判ではA氏が約束手形を銀行から取り立てに出していない事や支払期日が過ぎて支払いも受けていないのに手形訴訟を提起していないことを取り上げ、鈴木の債務が成立しないと主張していた。鈴木とのコンセンサスが全く取れていない状況が見えてくる。平林はこのように無駄な主張をして裁判の進行を妨げていたのではないか。
「和解書」での件でも鈴木の主張する「心裡留保」で、裁判官は証拠を検証もせず「無効」との判断をしたが、これも裁判官に大いに不審が残る結果になった。平林弁護士は「心裡留保」の原因となった状況を詳しく鈴木にヒヤリングしたとは思えない。鈴木が自作自演して、でっち上げた嘘を鵜呑みにし、①エレベーターを止められて監禁状態にあったという点についてはエレベーター管理会社から「その事実はない」との回答を得ている。②香港での殺人未遂事件の犯人にされそうになった。③隣室にいた警察官OBからプレッシャーをかけられた。②と③は鈴木の嘘が明らか。香港の事件について話は最初の数分だけだった。④紀井氏の鈴木の株取引に関する暴露が表面化するのは「和解書」締結日の後である。何故、和解書作成時に西に「60億の利益を前提とする」と念押しされたのか。弁護士としてこの「心裡留保」を主張したことを恥ずかしいとは思わなかったのか。関係者への取材でこの判決は「事前に裁判官が無効にすることを予め決めていたとしか思えない」と全員が言う。このように、この裁判は平林弁護士の弁護で勝訴を勝ち取ったのではなく裁判官の誤審で勝ち負けが決まっていたのではないかと思えるところがあまりにも多い。長谷川元弁護士の章でも書いたが、明らかな鈴木の悪事を擁護し、嘘を真実のようにすり替える弁護が罷り通り、裁判官がそれを認めてしまうということは如何なるものか。筆者は今後この件に関して重点的に取材を続けていく意を強くしている。マスコミ界の人間としてもこれは見過ごせない。平林弁護士も高額な報酬を得るために弁護士の矜持を捨てたのか。信じられない人間たちである。

青田光市の章でも書くがA氏の代理人であった利岡の「襲撃事件」では青田光市が関与していたことは青田の周囲の多くの関係者への取材で明らかになっている。平林弁護士はこの事件と同時期に襲撃犯が所属していた暴力団習志野一家の総長と最低でも2度にわたって面談していたことも取材で判明しているが、場合によっては弁護士として懲戒処分にもなる行動である。鈴木と長谷川の悪事が近々に白日の下に晒されると平林弁護士も鈴木の共謀者の悪徳弁護士として世間を騒がせることになるだろう。弁護士生命にも関わる問題だ。
青田が赤坂マリアクリニックを乗っ取った事件について触れておく。同医院の根岸重浩院長が書面で悲痛な叫びを上げていた。当時、何とか助けてほしいと周囲の人たちに話していた。
【青田光市との出会いは昭和60年代に交通事故の傷害保険で治療する患者を連れてきたのが始まりです。その後、年に2人~3人の患者を連れてきました。それが縁で、年に2回~3回ほど食事をする仲になりました】
赤坂マリアクリニックが青田光市に乗っ取られたのは2006年から2007年にかけてのことだったが、根岸がその手口を具体的に明かしている。
【平成17年の初め(記憶では2月から3月頃)、青田が「脱毛の患者を連れて来るから、紹介料として50%のリベートをくれ」と持ちかけてきました。リベートの率は脱毛50%のほか、隆鼻、ホクロ手術は30%などの条件がつきました。私は、たとえ青田にリベートを払っても病院の収入が増えればいいと判断し、青田と患者紹介の契約を結びました。
その後、私は平成17年の夏に、脳梗塞で日大病院に入院。手足が麻痺して、言葉もうまく発音できず、当初は全く話が出来ない状態でした。そして、入退院を繰り返し、リハビリ治療を受け、自宅療養の生活を送っていました。そんな状況のなかで、(略)東京女子医大の若松信吾先生に協力していただき、4月から新体制を組み、「赤坂マリアクリニック」の運営に当たることになりました。ところが、7月頃になって、青田が「赤坂マリアクリニックに200万円の赤字が出たので補填した。早く返せ」と言ってきました。娘二人がいた3月までは黒字だったことは確かです。どうも赤字は平成17年度分の税金が未納になっていた分の支払いのようです。それでも、青田に言わせると、200万円の赤字を私に返せという理屈になるようです。患者を紹介する仕事を頼んだだけなのに、なぜ、青田が病院の経理まで口を出すのか、納得できませんでした】

〔青田が院長を強迫〕
【そうこうするうちに、私の知り合いの患者さんから、「赤坂マリアクリニックに行ったら、経営者が代わったと言われた」という話が、次々と舞い込むようになりました。そこで、勤務している先生など、病院の関係者に話を聞くと青田は、受付の女の子を増やしたり、事務長を入れたりするほか、私が病院に入れないように鍵を替え、ロビーにある絵を売却するなど勝手な行動をしていることが伝わってきました。
青田は私が自宅療養リハビリ中で身動き取れない状況につけこんで、早い時期から悪巧みを実行していたようで、すでに18年5月1日には虚偽の社員総会の議事録を作成し、私を退職させ、6月2日には理事長を川口えいすけに代えていました。社員総会には、私は出席していません。印鑑も青田が勝手に持ち出したものです。さらに11月には医療法人緋地梨会の登記簿を変更し、港区赤坂から台東区千束に移転してしまいました。この移転に伴い「赤坂マリアクリニック」の名前を「赤坂マリアビューティクリニック」に変更して看板を出しています。完全に医療法人緋地梨会赤坂マリアクリニックを私物化して、乗っ取っています。そのうえ青田は、18年の9月中旬に私の携帯電話に電話を架けてきて「バカヤロー!殺すぞ」と強迫して来ました。10月には、手下二人を連れ私のマンションに押しかけてきて、「出て来い根岸! ふざけんな」と脅しをかけました。電話での強迫は11月の中旬にもありました】
以上が、平成19年2月25日付で根岸重浩が経緯を書き留めていた書面である。
青田光市という男は、本当にヤクザな生き方しか出来ないのではないか、と思われるほど、やっている悪事が粗暴で常習的である。青田の名前が取沙汰されるときには、必ず刑事事件が付きまとうのだ。利岡を襲った暴漢の所属している暴力団の何人もが「襲撃事件の後に青田自身が口止めに動き、今までの20年以上の付き合いを対外的には無かったことにするよう頼まれた」と証言しているのだから、青田には全く人徳が無い。
「赤坂マリアクリニック」の乗っ取りでも、青田にかけられた嫌疑は威力業務妨害、窃盗、有印私文書偽造・行使、詐欺、横領、強迫、公正証書原本不実記録など数知れない。クリニックを乗っ取られた側の根岸氏に非があったとすれば、それはリベート欲しさで言い寄ってきた青田の口車に乗って、付き合いを継続してしまったことではなかったか。
ちなみに、青田は「義光会」という医療法人を立ち上げ、鈴木が青田とともに役員に名を連ねて「赤坂マリアビューティクリニック」の運営母体となった。義光会の「義」は鈴木義彦の義を、また「光」は青田光市の光をそれぞれ取って付けた名称であるという。

杉原正芳弁護士
もう一人、杉原弁護士という人間がいる。杉原弁護士は西と鈴木が宝林株を購入した時に用意した「パオサングループ」ほかオフショワカンパニー3社の常任代理人を務めていた。西が、隠匿されている資金の調査を始めた中で判明した事実の中には、杉原弁護士が関東財務局長宛に提出した「大量保有報告書」と「変更届」に驚くような虚偽事実が記載されていた。それは株を取得した資金は「紀井氏からの借入金」と記載されていた点だ。紀井氏は後日、勝手に名前を使われた事に気が付き、杉原弁護士に抗議の手紙を出し、

平成11年6月1日付で金融庁に提出された大量保有報告書の一部。宝林株の買取資金について常任代理人の杉原正芳弁護士は「紀井義弘からの借り入れ」と虚偽の申告をした)

理由を聞き質したが、杉原弁護士からは回答がなかったという。鈴木が宝林株購入の資金がA氏から出たことを隠すために杉原弁護士に指示して関東財務局長宛に虚偽の記載をさせたのだろう。杉原は余り表には出てこないが、パオサングループほかの常任代理人という立場にいた杉原は、鈴木が海外(オプショワ)に株取引の利益を隠匿するのに大きく関わっていると思われる。杉原は公文書偽造、鈴木の外為法違反、株式売買不正操作、脱税等に加担していることに相違なく、杉原弁護士の悪事も後日明らかになるだろう。杉原弁護士もそれ相当の覚悟が必要であり、弁護士生命に関わることになるだろう。鈴木からの裏の報酬額も問題になり、世間を騒がすことになる。

 

乙59号証
鈴木が手紙で指名してきて代理人にした青田と平林弁護士が嘘で固めて作り上げ、「和解書」の無効を正当化しようとしたが、矛盾が露呈したためにさらに悪質な嘘を重ねて過度の言い訳を並べ立てたのが「乙58号証」の書面だった。
58号書面では、平成18年10月13日から10月16日までの事(和解書締結日前後)が詳しく書かれている。恐るべき鈴木の作り話であり、A氏と西の名前の箇所を鈴木の名前に置き換えると香港の件も、和解書締結の現場もその様子がよく分かるような気がする。

(長谷川幸雄元弁護士が裁判所に提出した乙59号証「質問と回答」。破綻した鈴木の証言を補完するために、長谷川はさらにウソを重ねたストーリーを構築したうえ、A氏を極端に誹謗中傷した)

筆者の想像だが、10月13日に「合意書」が破棄されずに存在することが判明したことで、鈴木はエレベーターでも、香港の事件でも、紀井氏の裏切りでもなく本当に動揺していたと思う。鈴木はこの場をどのように切り抜けようかということしか考えられなかったのだろう。鈴木は「合意書」が存在することですべての事を嘘で固めるしか方法が無くなった。だが本当に動揺したことを理由に「和解書」の無効を主張することは出来ない。それをすると自殺行為になるからだ。
宝林株で再出発する時に当然資金が必要になる。親和銀行事件で実刑を受け、社会的に信用がなくなった鈴木は大法螺を吹いてでも、それまでに多額の借金をし、一銭も返済していないA氏を説得しなければならない。西の協力も得て必死に頑張った結果、株取引で勝負する資金の調達に成功した。そこで多くの借金が残っているA氏にも魅力がある計画でなければならない。それが「合意書」の締結であった。正直、鈴木も西も宝林株でこんなに利益が上がるとは予想していなかった。160億円、この資金だけで株取引の元金が出来たのである。「合意書」に基づいて三人で協議すればすべてがうまくいったのであったが。ここで鈴木が生来持っている「悪」と「強欲さ」が顔を出してくる。「合意書」を破棄して自分だけの儲けにするという策略を立て、西を唆してその策略を実行する。西も一番の恩人であるA氏を裏切って鈴木に加担した。所詮、金の力に負けるのである。しかし、「策士、策に溺れる」で「合意書」は存在した。西も流石にそこまではA氏を裏切れなかった。
鈴木は、下手をすれば自分なりに苦労して獲得した470億円という莫大な資金が自分だけのものではなくなる。これだけは絶対に避けたい。そうするためにはどんな嘘をついてでも、誰が聞いてもどんなに辻妻が合わなくても嘘のストーリーを作り上げなくてはならなくなった。ここからが鈴木の「前代未聞の大悪党」の第2幕が始まるのである。自分の悪行の秘密を知っている人間も邪魔になってくる。そして「和解書」も無効にしなくてはならない。悪知恵が働く鈴木は自分が陥った深刻な動揺を利用して別の理由をつけ「和解書」締結を無効と主張した。そして鈴木の周辺に自殺者が出たり、不可解な事件が起こるのである。平成18年10月16日以降に起った不可解な事件については後日検証していくことにする。

鈴木と平林弁護士は以前から自分たちが作り上げた嘘の主張を二人で展開させてきた。まさに「乙58号証」の主張が嘘の限界であった。ポイントでは言い分を二転三転させ、主張する内容の真実味が薄くなってきて裁判官の印象が芳しくなくなった事に危機感を感じ始めた長谷川元弁護士が鈴木と打合せして一発逆転の大芝居を打ったのが「乙59号証」ではなかったか。それが証拠に、陳述書の最初に記載されているA氏との面談日(平成14年3月頃)からして嘘なのである。長谷川と鈴木は全く架空の日を設定して今までとは流れを別にした。鈴木が他の出来事と混同して、また辻褄の合わない主張をしないように考えたのだろう。A氏と鈴木がこの頃面談した事実はない。A氏が鈴木と二人だけで会ったのは、親和銀行事件で逮捕される前の平成11年5月28日と平成18年13日(和解協議前)、鈴木が電話してきてA氏の会社に来た和解協議後の10月23日の3回だけなのだ。長谷川と鈴木は、鈴木が今まで主張した嘘の中で、法廷で二転三転した部分や平林弁護士が「こんなことは有り得ない」を連発して法廷で右往左往した部分を打ち消さなければ裁判の形勢が不利になると思ったのではないのか。
もう平林弁護士には任せておけないと考えた長谷川は、鈴木が答えやすい「QアンドA」方式で台本を作った。案の定、長谷川の質問は鈴木が触れられたくない部分を除き、自殺した西や天野氏の発言が決め手となる部分を強調している。そして鈴木の回答には「言っていません」「書いていません」「その通りです」「西がそう言いました」「西から聞きました」「天野は知りません」「天野からは聞いていません」が多い。まさに「死人に口なし」を最大限に活用したのである。鈴木にとって最大の窮地を救ってくれた西と、長年FRという会社で、右腕的存在だった天野氏の「自殺」まで利用して自分の嘘を正当化しようとする鈴木は人間の貌をした獣である。西と、天野氏が生存していたらと思うことは空しいことだと分かってはいるが、西と天野の二人の悔しさを思うとやり切れない。本当にひどい人間たちだ。「恥を知れ」と言いたくなる。
裁判で被告と被告代理人との問答がこのような問答になるのはよくあるケースだと思うが、あまりにも極端すぎる。そして決め手はA氏への誹謗中傷だ。自分たちの家族も含めて身に危険が及ぶことを覚悟しているのだろうか。有りもしない反社会的組織との関係をでっち上げ、その組織の名前と組織のトップの実名まで発言した。鈴木も長谷川も反社会的組織の世界を全く知らない事はないと思う。しかしそれを知っていての問答だということを裁判官に印象付けたところに効果があったのではないだろうか。裁判官にとって原告が「反社会的組織の関係者」という印象が強くインプットされたのである。そう考えれば一審の誤審、一審の判決を全面的に支持した二審の判決が妙に理解できるのである。
鈴木と長谷川は自分たちの家族を巻き込んでしまった後悔は避けられないだろう。特に長谷川は、弁護士という資格も捨ててまで鈴木の悪事を擁護する価値があったのだろうか。今後、鈴木の共犯と言われ、悪徳弁護士として世間を騒がせることに何の幸せがあるのだろうか。やはり高額な報酬のためだろうか。そうであれば弁護士の矜持はないのか。しかし鈴木には表向きには高額な報酬を支払う資金がないはずである。国税や検察が喜ぶような特ダネを目指して取材を続けていく。
いずれにしても「乙58号証」と「乙59号証」は平林弁護士と長谷川元弁護士にとって後日、重大な責任となって覆いかぶさっていくことに間違いがない。

西 義輝
西義輝。多くの関係者に取材していく中で、今回の事件をひき起こした原因は間違いなくこの男だと確信した。古川氏の紹介でA氏と知り合い、A氏の稀有な器量に触れ、温情と男気に接し、大きな支援を受けながら自らの事業に励んでいたが、やはり資金面でA氏への報告に嘘があった。自分の頭の上の蠅も払えない状況なのに鈴木と知り合い、鈴木に窮地を打ち明けられA氏に相談を持ち掛けてしまった。
鈴木はおそらくA氏と西の事を、ある程度は調査していたのではなかったか。
二人はそれぞれ過去に株式取引で甘い汁を吸った経験があった。しかし、西は株取引の知識は深くはなかったようだ。要するに「バブル景気」に乗って、株で儲けたのだろう。その点、鈴木は自分でもFRという会社を上場させ、そこを舞台に株取引については一日の長があったようだが、鈴木の場合は「バブル景気」の崩壊により破綻寸前に追い込まれていた。二人は「一発逆転を狙うには株取引で勝負するしかない」という共通の思惑があった。西には鈴木の株投機の知識が必要だった。鈴木は西のスポンサー(A氏)の資金力が必要だった。西は、それにはまず破綻寸前の鈴木と倒産寸前のFRを助けなければならないと考えた。二人は親和銀行事件で鈴木が娑婆にいない間の資金繰りをするためにA氏に相談したのだろう。鈴木とA氏とは今までに接点が無かったため、表向きは鈴木を助けるための資金繰りであったが、この機会を利用してさらにA氏を騙したようにも見える。西と鈴木は十分な打ち合わせの上A氏と会っていた。
A氏と西、鈴木は三人で飲食をする機会が少なからずあった。A氏は飲食する場合の勘定は他人に払わせたことがなかったが、鈴木はA氏より先に勘定を済ませていることが数回あったという。A氏は鈴木のそういった気遣いに好印象を持つこともあったという。狡猾な鈴木には計算済みの振る舞いであっただろう。こんな付き合いが始まった時期から鈴木はA氏と西の人間関係とA氏の人間性を把握していったのだろう。
西は支援してもらっているA氏に自分の実際の状況を隠していた。おそらく資金繰りが上手くいってなかったと思われる。自分が紹介してA氏から融資が受けられるようになったが、鈴木が受けた融資の一部を自分のやり繰りにも流用していたとしたら、この事件の全容の辻褄が合うところが多い。しかし当時から西はA氏を裏切るつもりは毛頭もなかったと思う。一時の方便で融資を受け、鈴木が出所したときには本気で株取引で勝負をしてA氏に恩返しをするつもりでいたと思いたい。

そして、執行猶予となった鈴木と作戦をじっくり練って、A氏に再度相談し、自分より株取引に詳しい鈴木に、株取引による決意と自信を粘り強く話をさせながら熱意をもって説得させ、自分たちの再起のために株の買い支えに協力してもらう約束を取り付けた。
しかしA氏に後ろめたい気持ちがある西は、鈴木を牽制する意味も込めて「合意書」の作成を提案し、作成してA氏に少しでも安心してもらえるように取り計らった。これは西の本心であったのかもしれないが、鈴木の悪知恵の方が勝っていた。
株取引に関する「合意書」を交わした後、西は鈴木の術中に嵌り、金のためにA氏を裏切り続けた。西は、鈴木との約束を信じて一番大事なA氏をも裏切り、志村化工株の事件では鈴木を徹底的に庇い、有罪判決を受けてしまった。取材によると東京地検特捜部の追及はかなり厳しいものだったようだ。特捜部も鈴木を本命とマークしていて西を落とすことに躍起になったのだろう。鈴木が親和銀行事件で執行猶予中だったこともあり、鈴木が逮捕されると鈴木が隠匿している利益金の行方が分からなくなる。国税当局に没収されるかもしれない。約束の配当がもらえなくなる心配があった。しかし、それも鈴木の策略だった。
香港で西が巻き込まれた事件の際も、西は香港警察にも鈴木の名前を出さなかった。これも鈴木との約束を実現するためのものだった。西は悪事を実現するため自分の躰まで犠牲にしていたのだった。
筆者はA氏に西を紹介した古川という人物を取材する機会を得た。以下は古川氏を取材した内容である。
古川氏は西をA氏に紹介したことで、A氏に途轍もない迷惑をかけたことを大いに悔いていた。古川氏は宝石商を営んでいたためA氏とは30年ぐらい前から取引があり、商取引でA氏の会社を度々訪問していた。A氏との打ち合わせを終えた西と鈴木に出食わすこともたびたびあり、鈴木とは付き合いがなかったが西とは挨拶を交わしていた。限られた訪問客専用の待合室が社長室の隣にあって、社長室から漏れ聞こえてくる会話が耳に入ることもり、室内の様子が伝わってくることもあった。偶然にも鈴木が親和銀行事件で逮捕される3日前と「合意書」を締結した日にも古川氏の先客として西と鈴木が来ていたという。古川氏は裁判のことをA氏の周囲の人間から聞いて驚き、A氏に協力を申し入れた。そして代理人である中本弁護士に西と鈴木の事で知っている限りの事を文書にして提出した。しかし裁判が敗訴に終わったことを聞いて信じられなかったという。
古川氏は中本弁護士に提出していた文書が何故か裁判所に提出されていなかったことを後で聞いたという。鈴木の悪事は卑怯な手法を使って弁護した長谷川元弁護士によって擁護されたのであるが、古川氏は裁判資料も見せてもらい、関係者から話を聞いて怒りに体が震える思いがしたと語った。こんな理不尽があっていいのか、裁判官に正義があるのか、鈴木は勿論の事、代理人の長谷川に対してはこのままでは許してはおけない強い思いと、最後は鈴木に裏切られ追詰められてA氏に大きな迷惑をかけたまま自殺した西の悔しさと、何よりも自分が西を紹介したばかりに大きな被害を被ったA氏の心情を考えると、居ても立っても居られないと語った。そしてA氏の関係者とともに鈴木と長谷川の悪事を白日の下に晒すために行動していかなくては気が済まないと、並々ならぬ覚悟を語っていた。筆者は、取材をしていて感じたのはA氏の関係者たちのA氏をリスペクトする熱い思いと強い覚悟であった。鈴木と長谷川はこのままでは家族を含めて安穏な生活は望めないと思われる。2人は人間としてやってはいけない最悪のやり方をしたことは十分に分かっているはずだ。相当な覚悟が必要だと思われる。

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