読者投稿 鈴木義彦編④(132)

〖鈴木が合意書の約束を履行したのは宝林株の利益として西に15億円をA氏の会社に持参させた時だけだった。しかも実際はその時点で利益が50億円はあり、最終的には160億円にも達したにもかかわらず、A氏には15億円だけの報告だった。鈴木は最初からA氏を騙す計画だった。それを証拠に西を唆して合意書を破棄させようとした。西もA氏の恩を忘れて鈴木の陰謀に加担してしまった。この2人の恩知らずの裏切りは万死に値するものだと思う〗

〖鈴木は親和銀行事件で逮捕される3日前にA氏から8千万円を借りているが、この時土下座して涙を流し、「このご恩は一生忘れません」と懇願するような態度を取った鈴木は日本人の弱い所を突く浪花節的作戦を駆使した。また借金をする際に可能な限り署名をしない、書面を残さない事を徹底していた事などを考えれば、この男はやる事成す事全てが信用できない〗

〖この事件の裁判について、原告と被告の双方が提出した書類(準備書面、陳述書など)が全て掲載されている訳ではないだろうが、鈴木側が提出してきた全ての書面が「質問と回答書」(乙59号証)に代表されるように、嘘だらけなのは容易に想像がつく。「質問と回答書」にあるように、特に西が言った事とする主張内容が余りにも酷い捏造であり、これを否定、反論できるのは西しかいない。しかしそれが不可能なことを悪用して、理路整然といかにも事実であると裁判官が錯覚するような表現をしている。証明の仕様がなければ却下もされず、印象だけが裁判官の頭に残る。これは非常に悪質ではあり、長谷川は有効な手段として使ったが、決して許されることではなく、犯罪にも等しいのではないか。乙59号証は精査すれば全てが虚偽ということはすぐに分かることだ。「反社の資金でこのような金利での貸し方は有り得ない」「逮捕の3日前の、しかも今まで一切返済もない鈴木に貸すことは無い」「呼び出されたと言いながら、呼び出した側の話が一つもない」など主だった理由を挙げても、全てがウソだということがすぐに分かる。自信過剰の長谷川にとっては取り返しがつかないミスがいくつも明確になっている〗(関係者より)

〖以前に「この裁判の裁判官は宝石業界の知識がなく、事情を全く知らない」という投稿をしていた宝石業界の人がいましたが、その通りで、この裁判の裁判官は原告側の証拠類を見ていないのではないかと思われる個所がふんだんにある。裁判を担当することが決まったら訴状をよく読んで、提出される証拠書類の背景を把握して裁判に臨むのが基本ではないのか。この裁判官は事前の準備も審理での検証も全く出来ていない〗

〖鈴木の悪事が世界を駆け巡っている。SNSで誰もがいつでも鈴木の悪事を知り、これほどの悪党がいるのか、と驚嘆していることだろう。鈴木はこれからも自身の強欲と悪事に苛まれ、片時も眠れない日常を送らなければならない。自業自得だ〗

〖平林や青田に暴力団との繋がりがある事は苦々しく呆れるが、鈴木自身も親和銀行の事件で暴力団との密接な関係がある。それどころか鈴木自身が「反社会勢力の一員」というレッテルを貼られているのだからどうしようもない。それなのに自分達を棚に上げてA氏と暴力団との関わりなどありもしないのに執拗に大袈裟にアピールして意図的に裁判官の心証を悪くした。在りもしない事をでっち上げて、被告の鈴木が弱い立場の被害者であるかのように印象付けて、あろうことかそれを裁判官が支持したのだから、驚く以上に憤りが先に立つ。鈴木側の人間の言っていることは度が過ぎた虚偽であることを、地裁と高裁の6人の裁判官、特に地裁の品田裁判長は見抜くこともできず今回の裁判に重大な悪影響を及ぼした。品田裁判長はほぼ全ての面で誤審を繰り返し誤った判決を下した〗

〖国民の基本的人権の保持を目的とする裁判所で、慎重公正な判断をすることが目的であるとして、日本の裁判制度は三審制を取っている。しかし最高裁判所はごく一部の例外を除いて上告の殆どを「上告理由に当たらない」として棄却してしまう為、日本の司法は事実上二審制に等しいと海外諸国から批判されている。今回の事件について、東京高裁は「審理は原審で尽くされている」としてA氏の控訴を棄却した。しかし、原審判決を見る限り品田裁判長の不可解な判定が多く誤審だらけで、審議は原審で尽くされていない。高裁の野山裁判長もよく言えるものだ。この裁判を2審で審議しないという事なら三審制など全く無いに等しい。裁判所は「国民の基本的人権の保持を目的とし、慎重・公正な判断をすることを目的とする」という大義を掲げているが、胸を張って言える裁判官や職員が何人いるのか甚だ疑問だ。それは大義名分だけのものだ。過去に遡っても大勢の人たちが裁判所の横暴に泣かされてきたと思われる。これは、大きな問題として世論に訴えるべきだ〗

〖裁判官を長く務めた瀬木比呂志氏が著した「絶望の裁判所」によると裁判官にとっては当事者の名前も顔も個性もその願いも思いも彼らの念頭にはなく、問題なのは事件処理のスピードだけであるという。事務処理は毎月統計が取られ、ともかく早く事件を終わらせることばかり念頭に置き安直に早く処理して件数を稼ぐ。判決を書くのが面倒で訴訟記録を読み直すもの面倒だという。これが裁判所の真実の実態であるならば、今回の鈴木の裁判結果は紛れもなく裁判官の怠慢による誤判と言えるのではないか〗(以下次号)

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