読者投稿 鈴木義彦編➃(043)

〖詐欺師には様々なタイプがいるようだ。「人を欺く」という点は共通しているが、儲け話を持ち出して騙す奴、大物政治家や実業家と密接な関係にあってその人間の依頼で大きな仕事を手掛けているように見せかけて出資を募る奴、不動産開発をネタにする奴等、さまざまだが、詐欺師に騙される人間は自分に野心がある為に騙される場合が多いので自業自得だとは思うが、鈴木は、A氏の情と好意に縋って欺き、裏切りもした。人間の心の一番弱いところをついた卑劣な手段を使った。長い年月が経過しても鈴木が自分の非を認めないために、A氏は仕方なく訴訟を起こしたが、裁判でも嘘の主張を繰り返し、悪徳弁護士達を使って裁判官をも翻弄し、裁判に勝訴してしまった。こんな不条理があっていいものなのか。これは広く世論に訴えかけて、国民の審判を受けるべきだと思う。裁判所がこの事件を無視するようであれば、今後、裁判所を頼りにしても意味がないと思われる〗

〖裁判が始まる前の下調べとして、裁判官や弁護士は当事者の過去の履歴も精査する。精査してA氏と鈴木を比較すると天と地の差があった筈だ。2人の履歴と人間性にこれ程の差は滅多にあるものではないと思う。この資料は完全に無視されている。これは、故意だった可能性が高い〗

〖株取引によって約470億円という、とてつもない利益を生み出していた事実がA氏にバレた事を受けて、鈴木は和解協議後にA氏に送った手紙で「自分一人で稼いだ」と言い、裁判では「私が株で幾ら儲けようがA氏には関係無い」と主張している。よくここまでの大嘘がつけるものだ。鈴木が株で儲けた利益は、A氏からの買い支え資金投入のお陰なのに、全て西が勝手にやった事だ、俺には関係ないと言っているが、A氏と会わなければ宝林株の買取資金3億円とその後の買い支え資金を誰が出したというのか。宝林株の買取資金の出所を一人勝手に紀井氏の名義にしたのは、それが騙しでなければ何だというのか。鈴木や長谷川の言い分に証拠は一つとしてない〗

〖人間は欲望の生き物だと言われる。特に金銭欲というものは恐ろしいものだと思う。A氏は、鈴木に対して損得を抜きにして協力してきたことは記事を読めばよく解る。いくら器量が大きくても他人に、ここまで親身になれる人はいないだろう。A氏の生まれ持った性格が窮地に陥った鈴木を見過ごすことが出来なかったのだろう。鈴木は、最初からA氏を騙す積りは無かったと信じたいが、残念ながら鈴木の悪性は生まれつきのものだった様だ。鈴木は人の情に付け込むという人間として最低の手口でA氏を騙した。その裏切りは今も続いている。コイツは人間の貌をした獣だと思う。人の心を踏みにじってのうのうと生き延びている鈴木を赦してはいけない〗

〖A氏の鈴木に対する協力は、他人にはまねのできないものだ。西の紹介とは言え、ここまでの援助は考えられないが、育ってきた環境がそうさせたのだと思う。A氏は幼少の頃から祖父や父親が困っている人に手を差し延べる姿を見てきたのだろう。A氏は過去にも資金的な援助を頼まれて協力した知人や友人が多くいた。その人達が、A氏の協力によって立ち直って成功した人を見て来た経験があった。そしてその人達に感謝され、良好な人間関係が継続しているそうだ。そういう背景があって鈴木にも協力を惜しまなかったのだと思う。ただ、そういう人達と鈴木の大きな違いは鈴木には想像もしない悪意があったという事だろう。巧妙に仕掛けられた罠があった。鈴木は、他人の情や思い遣りを利用するという、人間として最低最悪の手口を使った。そして、25年以上の年月が経過した今も、A氏を裏切り続けて自分勝手な言動を繰り返している、史上まれにみる極悪人だと言える。コイツをこのまま放置していては世の中の為にならない。厳罰を処すべきだ〗(関係者より)

〖長谷川弁護士は、鈴木の裁判の弁護を引き受けるに当たって、依頼人の鈴木から、よっぽど高額な報酬を提示されたのだろう。もしくは長谷川の方から出した要求が通ったのか、いずれにせよ、高額である事に間違いないだろう。裁判の内容からして長谷川弁護士のなり振り構わない手段から察しがつくというものだ。実際のところ鈴木の嘘を正当化しようと思ったら、捏造した証拠でも用意しないとカバーしきれない。それでも無理があるから、A氏の信用を崩す戦法を取ってきたのではないか。長谷川は金の為に何でもやる人間だ〗

〖死刑囚は、刑の執行が近くなると殆ど同じような恐怖感を抱くようになるそうだ。この恐怖がたとえ小さいものであってもそれに気を取られだすと、不安が増大してきて気持ちが落ち着かなくなるらしい。鈴木も刑の執行を待つ死刑囚のようなものだろう。今は、自身と家族のことを考えれば不安だらけだと思う。何故なら、ここまで大きな事件が世界中に拡散すれば自然消滅することは無いし、逆に時間が経てば経つほどさらに拡散するのは間違いない。世間はそんなに甘くないし、A氏や関係者も我慢の限界に達していると思う。徐々に居場所が狭められて身の置き所が無くなってくるだろう〗

〖民事裁判も、刑事裁判のように当事者同士が向き合って自分の主張を戦わすべきだと思う。弁護士の答弁書や陳述書はどうとでも作れる。裁判官は、自分の思うように裁判の指揮を執れる。刑事裁判では検事がそれを許さない。検察官は起訴する前に充分な捜査をしている。裁判官は弁護士同士の論争を聴きながら裁定するだけで当事者と面と向かう機会が少ない。これでは当事者の人間性を見抜けないのではないか。民事裁判で誤審誤判が多いのはこれが原因だと思う〗(以下次号)

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