〖鈴木の裁判は平成27年7月に始まり平成30年6月に判決が下されている。品田裁判長が東京地裁に移動したのが平成29年7月であるから、品田裁判長が担当した時点で少なくとも既に2年が経過している事になる。裁判官一人が抱える事件数などを考えても、恐らくは「この裁判は時間をかけすぎている、早く終結するように」という上からの圧力があったのではないかと想像する。そして口頭弁論終結日が平成30年2月19日であるから、実質品田裁判長がこの事件を検証したのは僅か半年ぐらいという事だ。前裁判長からの引継ぎで内容を把握する時間を除くと半年もないことは予測が付く。この時点で判決が決まっていて判決言い渡しの日である同年6月11日までの4か月で判決文を書いたという事になる。審理に時間がかかった原因は「株取引」にあるが、引き延ばしを狙った長谷川の作戦もあった。品田はその原因を排除すべく合意書や和解書を否定し早期の判決を目指したとしたらとんでもない事であり、司法の上下関係、内情など恐るべき裏の顔が透けてみえてくる〗(関係者より)
〖A氏の代理人中本弁護士は重要な証拠を法廷に提出せず、大事なところで反論や追及をしていない。この裁判は誰が見てもA氏側が負けるはずのない裁判だった。中本弁護士に油断があり手を抜いたのか。弁護士が相手の弁護士の恫喝に腰が引けることがあるのか。A氏にとっては中本弁護士の対応は正に青天の霹靂だっただろう〗
〖長谷川元弁護士は、自分のしたことに心を痛めたり、あれこれ思いを巡らしたりしないのか。弁護士というのは裁判に勝つことが使命だろうが、鈴木の悪事の数々を知っていながらA氏を口汚く誹謗中傷し、ありもしない事を捏造して裁判官の心証を著しく悪くすることに何の正義があるのだ。「一寸の虫にも五分の魂」というが、鈴木には五分の魂も無い。そんな人間を救うことを長谷川は悪行とは思わなかったのか。これからでも遅くない、鈴木を説得してA氏に謝罪する事で責任を果たすべきだ。この決断には強い意志が必要だが、長谷川の人間としての評価はこの判断で決まる。多くの秘密を知られている鈴木は絶対に従うだけでなく、将来感謝することになるであろう。今のままでは長谷川も鈴木も青田も今後いい人生を送ることは無いと断言できる〗
〖第二次世界大戦の終結から78年が過ぎ、時代は昭和、平成、令和へと移り変わってきた。阪神淡路の震災から28年、東日本大震災から12年が過ぎたが、まだ余震が続く中で世界中がコロナ禍で苦しんでいる。ようやくワクチンが開発され僅かに光が見えてきたのが現状だが、鈴木は今、誰のおかげで生きていられるのか、心底分かっているのか。相も変わらず消息を不明にしたままで、お前の家族や身内も誰に感謝しなければならないのかを、いい加減に気付かないと全てを失ってしまうぞ〗
〖鈴木の家族は鈴木が今までどれだけの悪事を重ね、どれだけの人に迷惑を掛け、どれだけの人に恨みを買っているかを知っているのか。鈴木が悪事を働いて稼いだ金で生活し、子供達を育ててきたことを自覚しているのか。取材によると鈴木の妹の徳田邦子は、鈴木から高級マンションを買って貰い、かなりの金額を援助してもらっているという。A氏が西の家族を連れて同行した時、最寄りの警察からの電話のやり取りは邦子が一番知っているはずだ。鈴木と連絡を取ってA氏に会って謝罪し、今後の事を相談するように説得するべきだった。ネットニュースも見ていると思うが鈴木の悪事は世界中に拡散している。このままでは邦子と2人の娘や家族も大変な影響を受けることになる〗
〖人間は、一度に容易く大きな利益が得られると、そこでその人間の性格が出ると思う。「誰のお陰で儲かったのか、何が原因で利益が得られたのか」という事を考える人と、「自分に能力があったからだ、この利益は自分一人で得たものだ」と考える人とどちらが多いか。鈴木は典型的に後者だが、常識的に考えると前者の方が多いだろう。鈴木は、宝林株の取引以前もA氏に莫大な資金を借りて一銭も返済していない。親和銀行事件で逮捕される直前に8000万円の現金を借り、3億円の宝石、絵画(一度も持参していない)を委託商品として持ち出しているのだ。何という神経を持った悪党なのだ。とても常識では考えられない。こういう人間はどんな方法で懲らしめればいいのか。警察は民事不介入なんて呑気なことを言っていると豊田商事事件のように大事件に発展する〗
〖長谷川と鈴木はA氏が反社会勢力の資金を使っていると言って、そのトップの実名までも裁判の場に出している。事実ならばともかく、全くの作り話で完全に嘘である。A氏に対する侮辱どころでは済まされないのではないか。この情報が本人(反社のトップ)の耳に入ったらどういう事になるのか。覚悟の上だったのか。後先考えない命知らずの信じられない行動だ〗(関係者より)
〖鈴木はA氏に会った当時、個人は自殺、会社は倒産という瀬戸際の時期だったので、他人を思いやる気持ちとか礼儀を弁えるという余裕はなかっただろう。しかし、A氏のお陰で一息もふた息も付けた。「衣食足りて礼節を知る」という諺がある。常識的な人間ならば「物質的に不自由がなくなり人並みの食事もできるようになれば礼儀に心を向ける余裕が出てくる。」と言われるが鈴木は常識的な人間ではなかった。不自由が無くなっても礼儀に心を向けることをせず、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、受けた恩義や全ての約束さえも忘れて恩人を裏切るという行為を積み重ねる。最低の人間だ〗(以下次号)