〖A氏による貸金返還請求訴訟では、重要な株取引が「合意書」に基づいて実行されたことを品田裁判長が認め無かった。そもそも品田裁判長は民法上での「契約の自由の原則」をチャンと理解しているのか。契約内容は当事者の意思に基づいて自由に決定できることは原則となっていて、国が干渉してはならないはずだ。「合意書」の契約自体も当事者間の意思は「合意書」に署名捺印した事によって確認され立証されている。それを品田裁判長が認め無い事自体、不可解でならない〗
〖政策や法律を施行するのは永田町や霞が関だから、実際に社会で活用する際には限界があると言われている。裁判所は法務省に支配され、検事が裁判官に着任することは珍しくない。裁判官の独立が憲法で謳われていても、人事で上層部からがんじがらめにされている。裁判官と検事とは立場が全く違うが、この2つの役所が同期生や先輩後輩で繋がっていれば、やりたい放題ではないのか。鈴木の裁判を見ても、裁判官は法律を理解していても人としての基本的な道徳観を無視して、自分の出世の事ばかりを優先している。これでは公平公正な裁判など出来ない〗
〖品田裁判長は、紀井氏の立場を「そもそも紀井は被告の指示に基づいて株式を売り、売買代金を保管するという立場に過ぎず…」と判断をし、株取引のやり取りで重要な立場にはなかったという内容の判断をして、紀井氏の証言や紀井氏の提出した確認書を退けてしまった。しかしこれは大きな間違いであり、紀井氏の証言こそが鈴木が470億円もの利益を上げた事実を明らかにしており、その資金の行方がどうなったか、誰が資金を出したかなど追及しなければならない問題が多数あった筈だ。品田裁判長はあまりにも株取引の裏側を軽視した為に重大なミスを犯してしまった。この裁判は品田裁判長が早期終結を目論み、故意に争点をウヤムヤにさせた恥ずべき判決となったのは間違いない。日本の法曹界の最大の汚点として永久に残る〗
〖西は、鈴木との出会いから10年以上にわたる経緯を書き綴ったレポートを遺した。A4用紙にすると30枚以上にのぼる。西は平成7年(1995年)10月6日に恵比寿ウェスティンホテル2階にある「龍天門」という中華料理店の個室で初めて鈴木に会ったと書いてある。鈴木と西は面談を重ねるうちに会社の経営状態も話すようになった。鈴木はこの時すでに親和銀行問題を抱えていたようだ。西は、様々な話をするうちにFR社がいろんな事情で資金難に陥り破綻寸前状態だという事を知った。新しい金主の紹介を執拗に懇願する鈴木をA氏に紹介したのは平成9年(1997年)8月頃だったようだ。それ以降の事はサイトニュースに詳しく記載されているので割愛するが、鈴木はA氏に会う前から資金繰りのために詐欺まがいの事をしていたようだ。そんな鈴木を西は一番の恩人であるA氏に何故紹介したのだろうか。これには西なりの計算があったと思う。これがA氏と西、鈴木の物語のプロローグだった〗(関係者より)
〖西は、志村化工事件が表面化した際に、鈴木に株取引の巨額の利益分配という餌を目の前にぶら下げられ、それに目が眩んで死に物狂いで検察から鈴木を庇った。検事が鈴木を事件の主犯と睨んで捜査をしていたので、かなり厳しい取り調べであったはずだ。検察官の取り調べには大抵の人間は自白するようだが、西にそんな根性があったとは思えない。しかし、金の力は人間に想像もできない力を与えたのか、鈴木の作戦が成功した。西にそんな根性があったのなら、自殺などせずに鈴木と対決すべきではなかったか〗(関係者より)
〖いくら莫大な資産を持っていても、また、その資産が他人を騙したり裏切って得たものであっても、恩人には礼を尽くすことは忘れない事が大事だ。今更、鈴木に言っても始まらないが、礼を忘れて人の道を外した鈴木は株取引で利益が溜まる度に凶悪になり、強欲さをむき出しにした。そして、金の力を過信して傲慢な言動を繰り返し、最低最悪に人間に成り下がった。鈴木にとって最悪の事態を迎えても自業自得だ〗
〖鈴木という人間は、ある意味相当な修羅場を潜っているのかもしれない。本職の貴金属宝石業界、証券業界そして高利貸を含めたノンバンク系の金融業界。これらの業界は、裏社会との繋がりも深い。生半可では生き残れない世界だ。まして、余り自分に力量や経験がない時期には、金融業者とのやり取りは相当きついと想像する。しかし、鈴木はその経験を邪悪な発想で使い、言い訳と嘘ばかりを繰り返してきた。何度も命を無くしそうになった貴重な経験を生かそうとしないのは、鈴木の生き方が悪すぎるからだ。あと何年生きていく積りか知らないが、最後だけは昔の経験を生かすべきだ〗
〖ほとんどの民事裁判では、当事者は自分に有利な証言しかしない。嘘をつき、曖昧な表現で誤魔化すことも少なくない。裁判官も真相が明らかになる前に和解を進め、灰色化を目指すやり方もするようだ。本来ならば、このような事をさせないようにする(真実の追求で裁定を下す)のが裁判所の役割とされているが、現実は品田裁判官のように鈴木や長谷川の嘘を見逃がして指摘もせず、受け入れて判決に繋げてしまうのが実態だ。理想と現実のギャップが余りにも著しく、受け入れ難い体制である。裁判所はいい加減に裁判官の資質を問題視して体制の改革に着手しなければ、どこまでも堕落の一途を辿ることになる〗(以下次号)