疑惑 強欲の仕手「鈴木義彦」の本性

第2章 悪の連鎖

合意書
親和銀行事件で平成10年12月に保釈された鈴木は愛人宅で朝から酒に溺れた毎日を過ごしていた。西は鈴木から逮捕される前にFR社の存続や愛人と子供の生活費の援助を頼まれて面倒(月50万円~60万円)を見ていた。また、鈴木の多額の借金の債務保証までしていた西は、保釈された鈴木を毎日のように訪れ、一日も早く平常に戻って仕事をするよう必死で説得した。そうした日々が続いていた1999年(平成11年)2月から3月にかけて、「宝林」(現サハダイヤモンド)の筆頭株主が持株を売却するという情報が西に持ち込まれた。西はこの情報の詳細を1か月以上にわたって調査し、「宝林」株の購入を決断しA氏に購入資金の融資を依頼した。A氏は西の話を聞き、「西が復活できるきっかけになるなら」と考え融資を承諾した。平成11年5月20日頃に5000万円を融資し、同月末に2億5000万円を融資した。そして5月31日に取引は実施された。この3億円について鈴木はA氏からの融資を否認し、平林弁護士を通じて「自己資金だ」と言い、次いで「ワシントングループ会長の河野博昌氏に借りた」とか「株売買の話ではなくてファイナンスの依頼で現金は必要なかった」等と言い分を二転三転させ、平林も辻褄の合わない弁護を繰り返した。後日になって鈴木はA氏からの融資だったことを認めた。いかに被告人に「偽証罪」が適用されないとはいえ鈴木のこの狼狽ぶりを見て、裁判官は何故この時に鈴木の人間性を見抜けなかったのか理解に苦しむ。A氏から3億円の融資を受けた西は宝林株800万株を取得し、西と鈴木は宝林株の高値誘導を目論んだが買い支え資金が維持できず切羽詰まっていた。

(西が宝林株を取得した平成11年5月末から約1か月後の7月8日、A氏から株価の買い支え資金を仰ぐ約束で合意書が作成された。鈴木と西は最初の銘柄(宝林)からA氏を裏切り、鈴木は利益の隠匿に走った)

この状況を打開するために西と鈴木は平成11年7月8日にA氏を訪ね、株の買い支え資金の融資を懇願した。この日の鈴木は雄弁で「過去に株では痛い目にあった経験があり、20~30億の授業料を払ってきましたが、今回は自信があります。ぜひ協力してください」と熱弁を振るい「協力していただけないと社長からの借入金も返済していけなくなります」と半ば交換条件のような言い方で粘り強く説得を続けた。まったく狡猾な男である。
おそらく、西と鈴木は今までにA氏から多額の負債がありながら全く返済できていなかったので必死であったと想像できる。A氏は熟考を重ねた。そしてA氏は西と鈴木に復活を期待して苦渋の決断をした。すると、西が「今日の話を書面にまとめましょう」と言うので、A氏が「それなら弁護士に作らせよう」と返すと、西が「いえ、この話は3人だけのことにしたいので、私が作ります」と言って社長室から出て行った。それからしばらくして西が書面を持って戻ってきてA氏と鈴木にそれぞれ書面を渡した。書面の表題には合意書とあった。この時点から3人で実行する今後の株取引の費用及び利益は、3人で協議し作成したこの「合意書」に基づくことになった。扱った株の収支を3人が共有し、当然、損失が出る時もあれば利益が出ることもある。利益は経費を差し引いて3等分されることや、合意書に違反した者はペナルティとして取り分を失うことも明記された。西の提案で作成された株取引に関する「合意書」の骨子は、
*鈴木と西が情報収集と株価操作を担当する。
*買い支え資金はA氏が準備する。
*株を売却し獲得した利益は買い支え資金と諸経費(TAHの手数料10%を含む)を差し引き、3等分する。
*取引内容はその都度必ずA氏に報告する。
*これらの約定に反した場合は利益配当を授受する権利を剥奪する。
という内容であり、各々が署名、捺印をした。
以上がA氏、西、鈴木の三者による「合意書」作成の経緯である。しかし、この直後から「悪党!鈴木」が本領を発揮していくのである。
平成11年7月30日、西が株取引の利益金として15億円の現金をA氏の会社に持参した。A氏は「合意書」が履行されていることに安堵した。そして15億円は当然3等分されて5億円ずつの配当だと思ったが、西が「自分と鈴木の分はこれまでの借入金の返済分の一部として受け取ってください。鈴木も了解しています」と言ったので、A氏は株取引の自分の配当分として5億円を、また西と鈴木への貸付金の返済分として5億円ずつを充てることにして、合計15億円を全額受け取った。そして、「いろいろと物入りだと思うから二人で分けなさい」と言って2人への心遣いとして西に1億円を渡した。今まで一銭の返済もしていない2人にこんな心遣いは無用である。どこまで器量の大きな温情のある人物なのか。二人はこの時どう思ったのか。
翌7月31日、鈴木と西はA氏を訪れ、前日の金額の確認(5億円は利益配当、鈴木と西の各5億円は過去の借入金の返済の一部)をし、二人は5000万円の心遣いに対するお礼を言ってこの日は終わった。
初動の「宝林」株で思わぬ利益(取材では約160億)が出たことで、鈴木の本音は早くも「合意書」の存在が邪魔になっていた。そして西に「利益は二人で折半しよう。合意書の通りにすれば、自分たちの手許には何も残らない」と誘って、A氏の権利を排除するために合意書を破棄してしまうよう執拗に迫った。西は愚かにも鈴木の口車に乗り、合意書の破棄に同意してしまった。その後、鈴木は取得した宝林株を売る専従としてスカウトした元証券マンの紀井義弘から西の運転手であった花舘聡へ複数回に分けて総額10億円を西に渡した。西も眼が眩んでしまったかもしれない。これが悪の連鎖の始まりであり、西のA氏への裏切りが始まるのである。しかし、鈴木は利益金の管理を独占し西にも詳細を明かさなくなった。宝林株以後、鈴木はFR社、エルメ、アイビーダイワなど相次いで銘柄を仕掛けていき、西は鈴木に言われるまま市場で株価を高値に誘導していったが、それぞれの銘柄でどれほどの利益が出ているのか、西でさえ収支が分からなかったのである。西は株価を買支える資金をA氏から出し続けてもらっていた。鈴木の強欲は想像を絶するものだった。
裁判で鈴木はこの「合意書」の無効を徹底的に主張した。自署した「合意書」という書類が存在するにも拘らず、当時被告代理人の代表格であった長谷川弁護士、不整合な発言を繰り返す平林弁護士たちが総力を挙げて鈴木を擁護する嘘をでっち上げた。すべてが屁理屈で言いがかりであったが、裁判官はそれらの主張を支持し採用した結果、「合意書」を無効と判断した。
合意書を無効とする誤った事実認定は裁判の行方を決定する大きなポイントであっただけに、A氏はもちろんのこと関係者全員が少なからずショックを受けた。と同時に裁判官への不審が募った。そして何故かA氏の代理人の中本弁護士の被告側への反論も消極的なもので、A氏にとっては大いに不満が残る結果となった。
中本弁護士に何があったのか。鈴木の代理人、長谷川元弁護士は審理中にA氏の代理人中本弁護士に対して「うるさい」「黙れ」などと大声で恫喝することがあり、裁判官に注意される場面があった。また中本弁護士は鈴木の過去に周囲の人間が不審な死や、自殺者が出ていることを知り、かなり気にしていた節があったようだ。何より家族から「A氏の代理人弁護士を辞任してほしい」と哀願されていたと関係者が言う。
ネット記事にこの件が掲載されたときには大きな反響があり、特に鈴木、長谷川、平林弁護士、それとA氏の代理人である中本弁護士と裁判官を非難する投稿が多かったと聞いている。

2002年(平成14年)6月27日の借用書
平成14年6月当時、鈴木への貸付金は金利(年15%)を入れて40億円を超えていた。本来は遅延損害金(年30%)で計算すると60億円を超えていたが、西が志村化工株を巡る相場操縦容疑で東京地検特捜部に逮捕、起訴された後に保釈された時、A氏が今後の貸金返済について聞いたところ、西がA氏に「今後、株取引の利益が大きく膨らむので、鈴木の債務を25億円まで減額してやってくれませんか」と言った。A氏は西の頼みを了解した。改めて借用書を作成することになり、6月27日に西と鈴木がA氏の会社を訪ねてきた。

平成14年6月27日、鈴木が「社長への返済金の一部10億円を西に渡した」と言ったことを西が認め、借用書を書いたが、それが合意書破棄の礼金であった真相をA氏に語ることなどできなかった)

A氏が西からの要請で貸付金を25億円に減額すると鈴木に言った。それに対して礼を述べた上で「社長、返済金のうち10億円を西に渡してあります」と唐突に言い出した。A氏が驚いて西に問いただすと、西が何か事情がありそうであったが渋々「一応受け取りました」と認めたため、A氏はやむを得ず了承し、鈴木が15億円、西が10億円の借用書を作成することになったが、納得のいかないA氏は鈴木に「そんな大事な事なのに何故西に同行しなかったのか。最低でも西に10億円を渡したという電話をするのが当たり前じゃないですか」と言ってたしなめたが、鈴木は「すみません」と言いながら俯いたままだった。鈴木が「平

(平成14年6月27日付15億円の借用書。鈴木は同日、「西に社長への返済金10億円を渡した」と言って債務の減額を企んだが、10億円は合意書の破棄を西に執拗に迫った結果の礼金だった。この時点での債務総額は40億円を超えていたが、西が「今後は株取引の利益が大きくなるので」といって債務の減額をA氏に懇願したため、A氏は了解し25億円にした経緯があった)

成11年9月30日付けの「確認書」にある通り債務は完済された」と頑なに主張していることはこの借用書と矛盾しており、唯一の物的証拠が嘘であることが分かる。また、西に渡したという10億円は鈴木と西がA氏を外すために西に「合意書」を破棄させようとした報酬であった(実際には紀井から西の運転手の花館を経由)。こうした経緯を見れば、鈴木が平成11年9月30日に15億円を返済していない事、また西に渡したという10億円はA氏への返済金ではない事が明らかである。鈴木はこの15億円について、その年の年末までに返済するので10億円にして欲しいとA氏に頼み、A氏が了解すると、実際に12月24日に紀井を伴ってA氏の会社に10億円を持参した。
しかし鈴木はこの10億円についても確認書(平成11年9月30日付)との整合性を取るためにとんでもない作り話を「質問と回答」(乙59号証)という書面にまとめ、その中で「(A氏に完済したはずの金が)暴力団に流れたために二重の返済を迫られ、手切れ金の積りで10億円を払った」という話を盛り込んでいたが、これが全くの嘘であることが分かるはずである。ちなみに鈴木は「貸金返還請求訴訟の証人尋問で「西に10億円を渡した」ということについては「そんな話はしていない」と言い、借用書を作成した6月27日は「(A氏と西には)会ってない」と2重3重の嘘を重ねた。A氏の貸付金に対するいくつもの鈴木の嘘と乙59号証の問答の嘘が、全くの嘘であることをこの借用書が示していた。この借用書には確定日付の印が押されている。

和解書
2006年(平成18年)10月13日、A氏は鈴木に連絡を取ろうとした。しかし、鈴木の携帯電話の番号が分からず、紀井に電話をした。電話に出た紀井は鈴木が不在であることを告げ、A氏は鈴木と連絡を取りたい旨を告げて電話を切ったが、間もなくして鈴木から電話が入った。鈴木は「誰から電話があっても繋がないよう」に紀井氏に指示していたが、A氏からの電話と聞いて落ち着かなくなったようだが、紀井氏に「社長にはお世話になっているので、電話をした方がいいですよ」と言われ、それでA氏に電話を入れた。鈴木が日本にいることを聞いたA氏は会社に来てくれるように言った。鈴木は午後4時ごろA氏の会社を訪れた。A氏は今後の返済等について尋ねながら株取引に関する「合意書」を見せた。鈴木は西が破棄したと思い込んでいたので非常に驚いた。A氏は西が香港に行って何者かに襲撃され重傷を負ったことも告げた。鈴木は西の事件には一切関係が無いと言ったが(宝林株の利益の一部を平成11年7月30日に5億円ずつ分配している)、さらに合意書に基づいた株取引は一つも実行していないと頑なに否定した。そこで、A氏は西を交えて3人で話し合わないと真相が分からないと言ったことから、改めて3日後の10月16日に会うことになった。

(平成18年10月16日、鈴木がA氏と西にそれぞれ25億円を支払う約束をした和解書。これとは別途に鈴木はA氏に20億円を支払うと口頭で約した)

2006年(平成18年)10月16日、西と鈴木はそれぞれ午後1時を目途にA氏の会社を訪れたが、二人は最初から険悪な雰囲気であった。A氏が鈴木に合意書に基づいた株取引の実態を確かめようとし、鈴木は3日前と同様に否定し続けたが最後には宝林株取引だけは認めた。そこでA氏が「本当の利益はいくらなのか」と聞くと、鈴木は「50億ほどの利益が上がっています」と答えた。紀井氏から実態を聞いていた西は「そんな額じゃないだろう」と噛みつく。二人の言い分が真っ向から対立し、大声で口論し、怒鳴りあう状況だった。A氏が「下の喫茶店にでも行って頭を冷やしてこい」と言ったが、二人はしばらく無言で動こうとしないのでA氏は自ら協議を振興する形で話し合いを始めた。「合意書」がA氏の手許にあることを知った鈴木は「50億の利益なので、A氏と西氏に今月末(10月末)から平成19年2月末までに5億円ずつ5回に分けて支払います」と言いだした。A氏が50億円の利益で1人25億円の配当では計算が合わないことを問い詰めると、鈴木は「いや、60億円位はあると思います」と言い直した。A氏は60億円でも計算が合わないと訝しく思ったが、鈴木が25億円ずつ支払うと言っていることなので、そのまま話を続けた。西が予め用意していた「和解書」をテーブルに置いた。鈴木は「和解書」を2度3度と読み返すのを見て、A氏が「必要があれば文面を書き換えましょうか」と言うと、「いえ、大丈夫です」と言いながら金額欄と支払日欄に自筆で記入して署名し、母印で押印した。しかし西は本当の利益金額(470億円)を紀井氏から聞いていたために署名しようとしない。A氏が強い口調で署名押印するように促すと、渋々署名指印に応じた。そして西は「あくまで60億円が前提だからな」と鈴木に釘を刺した。こうして「和解書」は一応作成されたが、署名した後も西は「こんな金額じゃ社長が他から借りてくれている金額の一部にしかならないじゃないか」と鈴木に毒づいた。鈴木も反論し、喧々諤々となる中で鈴木がA氏に「社長には本当にお世話になっていて、とても感謝しています。社長にはあと20億円お支払いします。但し、その20億円については2年間の猶予を下さい。出来るだけ早く払います」と付け加えた。西が「それも和解書に書け」と強い口調で言ったが、鈴木はそれを無視して「西の言い方が気に入らないので書きませんが、約束は守りますので信じて下さい」とA氏に言った。A氏は疑念を残しながらも鈴木の言うことを受け入れた。この日の面談内容は複数のボイスレコーダーに録音されていて、会話の詳細は明確にわかると関係者は言う。
鈴木は別れ際にA氏に握手を求め「2年後は大きな仕事を成し遂げますので、楽しみにしていてください」と言って帰った。後日分かったことだが、鈴木はA氏の会社を出た直後に紀井氏に電話をかけて「話し合いは上手くいった。100億円以内で済みそうだ。ただ香港の口座は知られていないだろうな」と言っていた。しかしこの時には紀井氏は西に株取引の本当の利益金額(470億円)を教えていた。西がなぜ紀井氏から聞いた内容をA氏に話さなかったのか、協議の場で言わなかったのか疑念が残ったようだ。
鈴木は「和解書」を作成した後も、A氏に電話をして「西が買支えのために出した損失は70億円と聞いているが、正確な金額を教えてください」と言い、A氏が西と記井氏から確認して58億数千万円と答えると、その損失を経費として精算した上で利益を3等分しなくてはならないと言い、連絡をしてきていたし、23日にも自分で電話してきてA氏の会社へ一人で来て今後の事について話をしていったので、A氏は少なくとも「和解書」での約束は履行されるものと思っていた。また金額欄を空白にした和解書の原文コピーを欲しいとも言って、青田光市が京王プラザホテルに取りに来るなどしたこともあった。しかし鈴木は約1カ月後の11月28日付でA氏に手紙を送ってきて、「和解書」の白紙撤回と、交渉を継続するに当たって青田と平林を代理人に就けるということを一方的に通知してきた。
A氏は当初は鈴木の意向に同意せず、当事者で直接話し合わなければ解決しないという趣旨の書面を鈴木に渡すよう平林に要請したが、鈴木は自分の意思を変えなかった。それどころか、A氏との連絡を完全に遮断してしまった。鈴木の代理人に就いた平林弁護士は、止むを得ずA氏は平林と面談することにしたが、最初に会った際に平林が「社長さん、50億円で手を打ってくれませんか。それなら鈴木はすぐにも払うと言っているので」と言った。しかし、A氏が「それでは到底無理です」と断ると、平林は金額の話をしなくなり、それ以降は交渉ではなくA氏に対抗する姿勢をむき出しにしていった。そして、鈴木が以下のような理由で精神状態が正常でなく心身錯乱に陥っていたため(心裡留保)、「和解書」の作成は無効であると主張し出したのである。
①事務所の出入口のエレベ-タ-が止められており、監禁状態にされた。
②西が香港で襲撃され殺されかけたという事件の犯人にされそうになった。
③隣接の部屋に警察官のOBだという人がいて無言の圧力を掛けられた。
④側近だった紀井氏が自分を裏切って嘘の証言をしたため大きなショックを受けていた。
全く、厚顔無恥も甚だしかった。すべてが作り話の嘘である。①についてはA氏側はエレベーター管理会社から「エレベ-タ-を停止させることは不可能である」との回答書面を平林に提出している。②については明らかに鈴木の作り話だった(当日の西の録音テープもあるが、西が事件に巻き込まれた話は協議当初の10分ほどもなかった)。③については西の顧問を差すのだろうが、同氏は違うフロアーにいたので、鈴木は全く知らない。④についても西が紀井氏から実際の利益金を聞いていたが、この日はその金額を誰にも言っていない。そのため、和解書作成での利益金額は鈴木が言った60億円を前提としていた。鈴木が紀井氏の態度を裏切りと取ったのは和解協議の翌日から紀井氏が姿を見せなくなったからだったが、紀井氏は既にそれ以前から鈴木の元を離れる決断をしており、和解協議がそのきっかけになったに過ぎない。A氏も和解協議の場では実際の利益金総額を知らなかったのである。明らかに鈴木が「和解書」を無効にするために青田と平林がでたらめの言いがかりであった。10月16日に鈴木は「合意書」が存在することが分かってとても動揺していた。この場を切り抜けるのに必死だったと推測する。
そして、10月23日には電話をしてきてA氏の会社を訪れ、16日の内容も確認して帰って行ったのだから、平林が挙げた主張など全く根拠はなかった。
しかし裁判官は判決で、被告は「心裡留保」の状態であったとし「和解書」は無効だと判断してしまった。裁判官は、何を根拠に判断したのか。被告のでっち上げの発言と、明確な証拠がある原告側とを取り違えてしまったのかとさえ思える判決である。あまりにも一方的な判決であった。

「和解書」を締結してから約1カ月後、2回にわたって鈴木がA氏に送りつけた手紙。西と紀井氏を悪者にして自分勝手な言い分ばかりを書いてきていた。和解書に書いた約束事を反故にするための作戦を企て、A氏との接触を避けるため、青田光市と平林弁護士を代理人とする旨の通知をしてきている。手紙の内容には「自分一人で海外への資金の移動に苦労している」とか「海外に口座を作る準備をしてください」など、海外に資金を蓄えている事の片鱗を吐露している。そしてA氏への送金の意思もあったのではないかと思わせる文言もあったが、青木と平林を代理人にしたことで事態は悪化していった。
青田はいつものように影のように動き、平林弁護士はいつものように嘘まみれの主張を続け、反論されるとA氏の鈴木への対応に「そんなことは到底考えられない」を連発するだけであった。
A氏は鈴木からの要請もあって、知人から紹介された利岡正章を代理人に立てて青田、平林弁護士との折衝を任せていたが、そうした中で利岡襲撃事件が起こるのであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です