読者投稿 鈴木義彦編③(264)

〖鈴木は最初から株の購入資金をA氏は一切出していないという形にしたかったとしか思えない。それが最も自分に都合が良いと分かっていたからだ。宝林株の大量保有報告書の出資者を勝手に紀井氏の名前で虚偽記載したことから明白だ。そして海外のペーパーカンパニー名義の口座に利益金を移動させ隠匿し続けていた。最初から利益を上げた時の対応を準備していた行動である。計画的で悪質な詐欺である。和解協議やその後の電話ではA氏の出資を認めてはいるものの、裁判では嘘をつき通している。A氏に宛てた手紙でも明らかに分かるのだが、裁判では何の検証もされず有耶無耶で終わっている。株取引の資金をA氏が出したという事実を裁判官が認めていれば判決は大きく違っていた筈で、裁判官の株に対する追及の甘さに多くの疑問が残るばかりである〗

〖鈴木は、西を上手く利用しながらA氏に適当に報告させ、自分はA氏に対して報告もしなかったが、西に知られたくない時には一人でA氏を訪ね秘密にしてもらっていた。自分の欲に凝り固まって他の分別が出来なかったのだ。この時にA氏に中間報告をして、今後の方針を相談していたならば、今までの恩の一部でも返せたはずだ。金という魔物は、人間の思考を完全に奪ってしまうもののようだが、宝林株に関わる大量保有報告書に資金の出所でA氏の名を消し紀井氏の名を無断で使い虚偽記載したように、鈴木には最初から計算づくの事だったと思われる。そうであればこいつは大悪党というより人間ではない〗

〖鈴木は、合意書と宝林株の取り扱いから始まって、西に持たせたA氏への15億円、その後の平成14年12月24日に紀井氏を伴って持参した10億円のほか、平成11年9月30日付の債務完済の確認書及び約束手形(13枚)の原本、そして平成14年6月27日付の確定日付のある15億円の借用書、和解書の件等、これら全てを偽証することで自分の嘘の主張を組み立てている。全てが自殺した西の口を借りた虚偽である。そして、鈴木の株取扱を知る紀井氏の証言は裁判官が無視してしまった。JOF(ジャパンオポチュニティファンド)絡みの資金の流れ、FR関係の株取扱をよく知る天野氏は死亡。スイス、フランス等、オフショアでの資金隠匿については、霜見誠夫婦も殺された。現在までの鈴木の悪事を証言する人間も誰もいないが、このまま鈴木が逃げ切れる訳がない〗(関係者より)

〖長谷川弁護士は、巧妙で卑怯な裁判戦術に加え、裁判官の性格や特徴をしっかり掴むための情報収集をしていたのではないだろうか。裁判官が変わる度にその部分にも力を入れていたと思う。そして品田裁判官が時間を掛けずに早急に終了させるために配属され、株取引の部分を深く検証しないだろうと踏んでいたとしたら…。そう考えると何もかも長谷川が先を行っているように思えてくる。そして憎らしい程の手腕を発揮したように見えるが、しかし、それは裁判官が真実と虚偽を見分ける洞察力に欠けていたからだ。真相は分からないが、誤った判決を出しても問題としない裁判所の在り方にこそ問題がある〗

〖最近では鈴木同様、青田光市や長谷川元弁護士もインターネットで名前を検索すると簡単に情報が出るようになった。青田は「タイで逮捕」「反社を使い乗っ取り」と見出しが出てサイトに繋がる。長谷川は「弁護士バッジを外しても長谷川の罪は消えない」と出て、やはりサイトに繋がる。この様に日毎にこの連中の悪行がどんどん世間の目に留まるようになる一方である。これは大変なことだと本人達は自覚しているのだろうか。情報だけではなく画像も出ている。青田に至っては鈴木の隣に写真が出ていた。ここまでの悪行と写真が晒されるとは、ネット社会は鈴木の様な罪を逃れて世間の反感を買う人間とそれに加担した人間にとっては改めて恐ろしい世界だと思う〗

〖平成11年7月30日に、西は宝林株取引の利益金として15億円をA氏に届けている。15億円を3等分して5億ずつの利益配当だ。そして、西は「鈴木も了承している」と言って自分達の配当分5億円ずつをそれぞれの債務の返済金の一部としてA氏に渡した。A氏は2人への心遣いとして5000万円ずつ1億円を西に渡した。翌日、西と鈴木はA氏の会社を訪問して前日の金銭の受け渡しの確認をし、5000万円の心遣いに対して礼を言っている。しかし、裁判で鈴木は、7月31日はA氏の会社に行っていないと言い、西に15億円持たせたのは9月30日で、それは全額自分の債務の返済金だと主張したのだ。後日(平成14年12月24日)、鈴木が10億円を支払ったことで、品田裁判長は債務を完済したとしたが、全く辻褄が合っていない。鈴木が負う債務は約28.5億円で数字が合っていない。また現金の受け渡しは7月30日で、9月30日にA氏は鈴木を代理した西にエフアールの手形と確認書と渡しただけで金銭の授受はない。裁判長はこの矛盾を指摘せず、平然と被告側の主張を支持した。鈴木の虚言癖を見破っていれば、その後の長谷川弁護士と鈴木が共謀して作成した「質問と回答書」(乙59号証)等の主張が全て嘘であることが見抜けたはずだった〗(関係者より)

〖鈴木が署名押印(指印)した合意書(平成11年7月8日付)、A氏が決算時に便宜上書いた確認書(平成11年9月30日付)と確定日付のある借用書(平成14年6月27日付)、和解書(平成18年10月16日付)の4点はいずれも裁判を決定する重要な証拠書類だが、一審の裁判官は様々な理由をつけて鈴木側の主張を支持した。これは酷すぎますね。控訴審の裁判官も盲目的に一審の判決を支持した。裁判官たちに何かあったのでしょうか。6人が6人共間違えることなんて、有り得ないことで、その理由や隠れた背後の事情を突き止める必要がある〗

〖一般的に明智光秀は「三日天下」と嘲られ、主君である織田信長を裏切り、騙し討ちにした大悪人として現代に伝えられている。しかし、時は戦国であったから「何でもあり」の時代であったとも言えるが、主君と言えば親よりも大事で忠義を尽くさなければならない時代だった。その主君を裏切って焼き討ちにしてしまった事は、この時代においても世の中から非難され、軽蔑された。そして、その人間を討ち果たし、主君の敵を討った豊臣秀吉が英雄となり、天下を治めることになるのだが、光秀は逃げる途中で鎧泥棒の雑兵に首を切られて死んだと言われている。時代の風雲児の死に様としては惨めな最期だった。この「何でもあり」の時代でも「裏切り」は人間として一番やってはいけない事として歴史上にも「大悪党」の名が残る。鈴木は明智光秀と比べるほどの人間ではないが、このままの態度を取り続けるならば、恩人を裏切ったという事で同等の扱いを受けなくてはならない。どんな理由や事情があったとしても絶対許されない事だという事を自覚するべきだ。このままでは鈴木家は未来永劫にわたって罪業が永久に残ることは当然だ〗(以下次号)

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