読者投稿 鈴木義彦編(198)

〖裁判では当事者は偽証罪に問われないらしいが、弁護士はどうなのか。人一倍倫理観を求められる弁護士という立場にありながら、長谷川のように勝敗を左右する「質問と回答書」(乙59号証)のような嘘ばかり書いた証拠を平然と出しても許されるのか。しかもその内容を裁判官が容認した流れになっている。依頼人の利益になるためとはいえ、鈴木の嘘を正当化する為にここまでの嘘の証拠や主張を重ねる弁護士を法廷の場で許してはいけない。ネット上でも鈴木と長谷川の卑劣な手段に非難が殺到するのは当然の成り行きだ〗

〖信とは本来、人の言葉に寄せられるもので、そこに嘘があってはいけない。また、義とは他の人間を支え、尽くすもので、そこに利己的な気持ちがあってはならない。信と義とは、人が正しく道を進もうとするときの、車の両輪のようなものだと言われる。鈴木のように、やっていないことを「やった」と言い、やってしまった事を「やっていない」と嘘をつく。嘘と利己心があっては「信義」は成り立たない。人は、他人への仁義を持たねばならず、仁義を尽くすには信念が無くてはならないが、そのことを鈴木に言っても「馬の耳に念仏」だろう。どうしたらこんな悪党になるのか。悪事を重ねても逃げ延び、しかも大金を掴んだという慢心が鈴木自身を大悪党にしたとすれば、いずれ鈴木は破滅する〗

〖鈴木は株取引で獲得した利益金を海外にある外資系投資会社の口座に流出させたが、実際に投資会社はペーパーカンパニーで、今までは金融庁やSECの目を逃れる事が出来たが、外為法に抵触する行為であることは明らかだから、何かの切っ掛けで端緒が発覚すれば、口座凍結や没収は免れない。各機関へ鈴木告発が行われるのは目に見えている〗

〖何があったのかは不明だが、裁判官が殆ど被告の主張を支持した。裁判の流れを見ていると、A氏の鈴木への貸金についても株取引にしても経緯を全く無視している。人の人生も死んだ瞬間より、その人がどのように生きたかが重要だと言われている。この裁判でも裁判官は被告の主張の結末だけを聞いて、それを判断の根拠としている。成果や結果だけで判断するのは容易だ。しかしその過程にもっと注目すべき事実が沢山あった。結末に至る過程がどうだったかに目を向けていれば鈴木の出鱈目な主張が見抜けたはずで、裁判官が無能とか経験不足という問題ではなく、人を裁く基本だと思う〗

〖今回の裁判ではA氏の代理人中本弁護士の、弁護士としての未熟さも大きく足を引っ張る事となった。鈴木側の代理人、長谷川弁護士に開廷中に「うるさい」とか「黙れ」等と恫喝されると、中本は蚊の鳴くような声で弁論し、いつも震えているように見えたという。肝心な証拠類も適切に活かせず、未提出の物も多くあったという。能力的には曲がりなりにも司法試験に受かり弁護士になっている訳だから勉強はできたであろうが、頭の良さだけでなく気持ちの上での強さも兼ね備えていないと、長谷川のような海千山千の老練な弁護士には到底、太刀打ち出来ない〗

〖本サイトの取材班によると、A氏に資金を借りている債務者の誰もが驚いたことに催促を受けていないと答えたらしい。もしA氏が貸金を業としていたなら、そんな事は有り得ないと思う。あくまでも困った人に頼まれた時に資金協力をしていたというが、それでも稀なことだ。そして「A氏のような人は見たことがない」と言って感謝している様子だったらしい。この取材結果からもA氏の人間性を窺い知ることができるが、鈴木が主張して裁判官も認めた形になった「強迫」や「反社会勢力との関わり」など信用できない。もっとも鈴木は何の証拠もなくただ勝手に言っているだけのようだが。A氏の周辺には「必要ならいつでも証言します」とまで言っている人も多くいるようなので、再審がどのように行われるかは分からないが、重要な証人になれば良いと思う〗

〖鈴木は、自分の利益を忘れて物事の処理をしたり、他人に思い遣りを以て接したことがあったのか。常に自分の下心や欲を優先して物事に当たっていたと思われる。心から私心を捨てるという事はかなり難しい事だと思うが、ただ、相手を思い遣る気持ちがあるだけで心に余裕を持っていられるのではないかと思う。思いやりを表す文字として「仁」がある。「仁」を意識し続ければ私心を忘れられると言われている。鈴木には、家族に対する思い遣りを意識し続けてほしい。そうすれば全てが見えてくる〗

〖品田裁判長をはじめ今回の鈴木の裁判に関わった他の裁判官達は、3年もの期間をかけて原告側の確たる証拠があるにも拘わらず排除し、また代理弁護士長谷川に翻弄され、鈴木の虚偽、不正を何一つ断罪しないとは何事か。言っておくが鈴木という男は今回提起された貸金返還請求訴訟は別件の一つに過ぎず、この訴訟を切っ掛けに鈴木の周辺で起こった、関係者が相次いで行方不明となりあるいは不審な死を遂げている、その真相に迫る手がかりすら逃した事になることを猛省せねばならない。裁判所の歴史に汚点を残す品田裁判長の蛮行と取られても仕方がない〗

〖鈴木の記事が毎日のように掲載されているが、私が目にしたのは批判や非難、酷評ばかりだ。擁護するような記事が一つもないというのも異常な事だと思うが、事件の内容を見れば当然の結果である。しかしそれでも動きを見せない鈴木は何を考えているのかと思う。鈴木本人がこのまま黙して語らずを通せば、次は必ずその家族に批判が集中する。当然「家族は何をやっているんだ」という読者や世論の感情が家族に向けられるのは必至だ。その流れを承知していて鈴木には家族を守ろうという気概はないのか。今後は想像以上のネットの威力を思い知る事になる〗 (以下次号)

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