読者投稿 鈴木義彦編(187)

〖鈴木、お前は意気地なしで、腰抜けで、欲深で、自分の利益ばかりを考えている汚い人間だ。 この記事を読んでいると胸糞が悪くなる。 本来ならば、A氏に一大事が起れば真っ先に駆けつけてA氏を助けなければならない程の恩義を受けたのではないか。 西も同じだが死んでしまったのでは仕方がない。 西の分も背負わなければならないのではないのか。 今、正にA氏に一大事が起っている。 その原因の全てがお前なのだ、その事をよく考えろ〗

〖鈴木は宝林株の取引で巨額な利益を上げたが、合意書に違反しA氏に報告せず隠した。 その利益の中から別の債権者への返済をしたようだが、親和銀行事件での示談金である約17億円も株取引の利益から出ていた。 鈴木はここでもA氏に助けられているのだ。 散々資金協力をしてもらい生き延びてきたのに、今度は無断で返済に充てているとんでもない人間である。 もし示談金を支払えていなければ鈴木のその後は今と180度違う憐れなものになっていた筈だ、この時も担当した長谷川弁護士は資金の出所に疑問を持たなかったのか。 知っていて見逃したとしたら不正に目を瞑った責任は重大である〗

〖鈴木、お前には人に誇れる「信念」というものが無いのか。 お前の信念は他人を犠牲にして、騙して金を掴む事だけなのか。 お前は狂っている。 そうでなければ命を救ってもらったA氏にここまでの裏切りは出来ない。 A氏に世話になった人達や、周囲の関係者の怒りは当然だ。 お前には「人として・・・」と言っても通用しない。 「狂人」は檻に閉じ込めるしかない〗

〖鈴木は「貸金返還請求事件」では勝訴した格好になっているが、これは一時的なものであると既に本人も自覚しているだろう。 しかし他に鈴木が関与していると思われる犯罪は民事事件を超える刑事事件に当たる可能性が極めて高い。 当然これらが一斉に暴かれる事になるが、例えば1989年にタイで2億400万ドルの詐欺容疑で逮捕された犯人が懲役14万年という判決を言い渡されている。 これは最長懲役年数としてギネス登録されているらしい。 他の国でも懲役数百年という話をよく聞く。 もっとも日本に当て嵌めれば「終身刑」という事なのだろうが、他国のように懲役年数が言い渡されるとリアルに絶望的になる。 鈴木にどのような量刑が下されるか分からないが人生が終わるのは確実だ〗

〖人間は、自分の周りにある環境、仲間、家族をまずは大切にしようとする。 実力もないのに背伸びをして見栄を張ろうとしてもそれは逆に不幸を招くことになると思う。 まず自分を知り、自分に合った力をつける努力をするべきだが、鈴木の様に自分を過信し、出来もしない事をしようとすると、他人を騙し、仲間を裏切る事になる。 鈴木は自分を何様だと思っているのか。 自分一人では何もできないという事がまだ分からないのか〗

〖和解協議で話し合われ和解書が作成されたが、その後に鈴木から送られた2通の手紙を裁判官は読んでいないのではないか。 少なくとも最後に担当した品田裁判官は読んでいないとしか思えない。 読んでいれば、間違いなく判決にも影響するはずで、この両手紙からは「強迫」、「心裡留保」という言葉は連想できないからだ。 そしてその後鈴木は姿を晦まし逃げ回っている。 どう解釈すれば「強迫」、「心裡留保」が成り立つというのか。 被害妄想もいい加減にするべきだ。 しかも品田裁判官の判断はあまりにも軽率で短絡すぎ、状況判断も誤っている。 早急に結審するという目的に走りすぎた大誤判である〗

〖裁判官という職業に就いている人間は殆どが自惚れの塊ではないか。 最難関と言われる司法試験に合格し、裁判官の資格を取った事で普通一般の人間を見下しているのではないか。 「お前達一般人と自分は違う」と考えているのではないか。 勉学に励んで難関な資格を取得することは立派な事だと思う。 しかし、社会的な経験をせず、一般人との交流も少なく「一般人を見下ろして生きている人間」に他人を裁くことが出来るのか。 今回の裁判の経緯を読んでいると、そんな思いを強く持った。 裁判官になったならば「正義と公平」という言葉をもっと重く受け止めていてもらいたい〗

〖鈴木は合意書破棄の為に西に渡した10億円を「社長への返済金の一部として10億円を西に渡した」と全くの嘘をつき、25億円に減額してもらった借金から更に10億円を引いて15億円にしてもらった。 この手口は悪質極まりない。 自分が計画した合意書破棄の事実をA氏に知られることなく、且つ借金を更に減らすという、鈴木にとっては一石二鳥の策略である。 事前にここまでの事を考えていたとしたらとんでもない悪徳詐欺師だが十分に有り得る。 鈴木という人間は想像を遥かに越える凄まじい極悪人である〗

〖今回の鈴木の事件を知るまでは、裁判官は公平公正な判断を下し、その命令(判決)は絶対であると信頼していた。時には冤罪や誤審という事態をニュースで見るが、これは稀な事であると思っていた。しかしこの事件の判決はあまりにも酷すぎ、沢山の読者投稿にも寄せられているが、裁判所そのものの在り方にも疑念を抱くようになった。裁判官も人間である以上間違う事があったとしても、それが組織的であったり裁判所の事情が絡んでいるという事は絶対にあってはならない。そして上級審のやり方も根本から変えなければならないし、明らかな誤審と言える場合は再審制度を含めて救済方法の見直しを早急に行うべきだ〗(以下次号)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です